最近、怖いことに気づいてしまったんです。
考えすぎかもしれないのですが、「そんな覚悟あるかって言われたら、今のままでいいよ~」と思えてしまうようなこと。
ちなみに、この件に結びつくような短編小説を「note」で公開しています。もちろん無料公開。
よろしければ、読んでみてくださいませ。動画のBGM演奏は私ではないですが、イラストと動画制作は私です。「尊きもの」なにかを得れば、なにかを失う
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目次
願い事はありますか?
まず、ひとつ自問自答してみてください。
願い事はありますか?
「ある!」
という人が多いのではないかなと推測します。
願い事の内容は人それぞれですよね。
「片思いの××くん(または○○ちゃん)と両想いになりますように」
「仕事がうまくいきますように」
もっと深刻な悩みを願い事にしている人もいると思います。
その願い事は、何かを犠牲にしても叶えたいですか?
次に自問自答してみてください。
その願い事は、何か自分にとって欠かせないもの、大切なものを犠牲にしてまで叶えたいですか?
例えばですが、毎日の晩酌が唯一の楽しみだけど、
「今後、一切、お酒は飲まない!」
ツヤツヤのロングヘア―が自慢だったけれど、
「バッサリカットして、今後一切、ロングにはしない」
など。
……きついですよね。
「今後一切」ですから。
一時だけの我慢とかではないですから。
でも、それでも、このくらいの犠牲は、まだ軽いものだと思うんです。
昔?の人たちの神頼み
今でも、どこかでは行われているかもしれません。
困ったときに、神頼みの儀式を行う。わかりやすい神頼みは「雨乞い」かな。
で、ですね。
怖いことに気づいてしまったというのは、そういった儀式には、”生贄”を神様に捧げるというのがあります。
動物なこともあれば、人間だったことも。。。。
その願いを叶えてもらうために、命すら投げ出した人たちがいたということです。
大切な家族が犠牲になるなんて、どれほどの苦しみでしょうか。
気軽に神頼みをするけれど
全員が、とは言い切りませんが、比較的、気軽に神頼みをする人が多いように思います。
別に批判はしません。
でも、神様にお願いごとをするのは、実は重いものであること、それが自分勝手な願い事であるのなら、尚更、神頼みをすることの重さを知っておいたほうがいいように思います。
そして、その願い事が、大切なものを捧げてまで叶えたい想いであるのかということも考えてみることも大切。
これは、生贄を捧げることを勧めている記事ではありませんよ。
その願い事は、本当に叶えたいものなのか、の再確認と、願い事が叶わなくても、今ある幸せに気づくことが大切なんじゃないかなと思ったというお話です。
なにかを得れば、なにかを失うことになるのですから。
得れば、失う。「尊きもの」
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