
今回は常々思っていたことを短めに書きます。
私たちは白黒つけたくなることがあるけれど、
白黒つけないことこそ、真実なのではないかっていうことについて。
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目次
白黒つけてスッキリしたい
自分の中に、モヤモヤした感情があるとします。
自分はこのことを許せないと思っているのだろうか?
それとも、いいこともあったから、いい思い出なのだろうか?
自分がやったことは正しかったのだろうか?
おせっかいだったのだろうか?
・・・そんなとき、「それでよかった」または「間違いだった」と白黒つけることで、気持ちがスッキリすることがあります。
しかし、よかったのか間違いだったのか、一方に決めることは真実なのでしょうか?
話し合って白黒つける
意見がすれ違うことがあります。
自分が正しいのか、相手が正しいのか。
それぞれが自分の正当性を主張したとします。
どちらかが自分が間違っていたことを認めるか、
妥協点を見つけて、お互いが少しずつ折れて、和解したとします。
結果的には争いが終わって平和になった。
しかし、その折り合いをつけた内容は、本当に正しいものなのでしょうか。
白黒つけないことこそ真実なのでは?
自分の考えをスッキリさせないと前に進めないこともあります。
妥協点を見つけて和解しないと、争いが終わらないこともあります。
だから、その都度の「この場合は、これでいいのである」は、なくてはならないものなのかもしれません。
しかし、その単一的な考え方に縛られるのは危険だと思うのです。
だって、白も黒も真実なことがあるから。
そう、場所や状況、時代などによって、そのことがどう見えるのか、どう解釈できるのかは変わります。
それを無理やり一つに決めて、ほかを否定するのは、心の不安定につながったり、可能性を狭めたりすることにつながるのではと思います。
例えばある経験について、
良かったこともあったからいい思い出にもなっている、
でもすごく傷ついてイヤな思い出でもある、
どちらも真実の場合もあるのではないでしょうか。
折り合いをつけた妥協点、
実はそれが間違いのもとになることもあるのではないでしょうか。
もちろん自分の過ちを認めて、反省することは大事です。
なので、これは反省するところなのか、それとも白黒決めることではないのかの見極めは必要だと思います。
現代は特に、今までの固定観念に縛られるのが危険な時代。
決めつけず、柔軟に、さまざまな可能性、視点を「考える」というより「感じる」ことが大切な気がします。
「じゃあ、こういうときはどうなんですか?」
と質問したくなる人もいるかもしれません。
でも、それこそが、「ほら、決めつけたがってる」ってことです。
こういうときは→こうである
ではなくて、「あなたは今、どう思うんですか?」ってことです。
そして、あなたが今、思うことが他の人と違っていたのだとしても、
それがあなたにとっての真実ということです。
また、後からよく考えてみたら意見が変わったのなら、
「そのときのあなたの真実は、それです」ってことです。
つまり、真実はこれしかない、これこそ正しいと一つに決めることが、
逆に真実と違ってしまうことがあるのではないということ。
なーんて、思ったことをまとめておこうと文章にしてみました。
固定概念、取っ払うぞー。
(でも、常識というか、周りとのバランスも忘れずにいたい・・・)
☆この記事を書いた人☆
mari@ライター・校閲、YouTube台本、心理カウンセラー、ムビラ弾き♪
「自分らしく生きること」を発信していきたい☆
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シングルマザーと、登校拒否の高校生男子と、自称「うまく生きてる」あたしの物語。
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「そんな夜の、とっておき」 |
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