お花見シーズンになりましたが、
先日、桜についてのお話を伺い、
「私は桜のように生きたい」
と思いました。
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目次
花を咲かせる短い期間のために
「桜っていうのは、根がとても大きいんだよ。
花を咲かせて人から注目される時期は短いかもしれないけれど、
花が咲いていない間、ずっと大きく張った根から力を蓄えているんだよ。
短いけれど、満開の花を咲かせる時のために」
――この時期、満開の桜は人々の心を惹きつけ感動を与えていると思います。
でも、桜はこの時期だけ頑張っているわけじゃなくて、
この時期のために、花を咲かせるために、
普段から努力をして、力を蓄えているのです。
花が咲いていない、見た目から言ったら地味で目立たないときだって努力をしているのです。
桜についてのこんなお話を聞いて、もう一度書きますが、
「私も桜のように生きたい」
と思いました。
「努力」という言葉は嫌い
満月と桜の風景、最強^^
私は「努力」という言葉が嫌いです。
「努力」することが嫌いなのではなく、「努力」という言葉が嫌いです。
何故なら、「努力」という言葉だけで、満足してしまいそうな、やったことに対しての見返りを求めてしまいそうな気持ちになるからです。
それよりも、努力するのなんて当たり前だと思っています。
それが些細なことであれ、大きな夢であれ、
やりたいことのために、
または、やりたいのに実現が難しいことのために、
努力するのなんて当たり前。
それを何を大げさに「私は努力します!」とか「努力している!」なんて思う必要があるのだろうと。
日ごろの積み重ねが底力になるのでしょう。
だから、日々、頑張っていくのは当たり前。
底力を感じさせるような花を咲かせたい
でも、今回、それだけで終わりじゃ嫌だなって思いました。
「桜のように、花を咲かせる日がくればいいな」
って。
そして花を咲かせたときに、
その場だけの勢いで咲いているのではなく、
簡単には折れない、それまで培ってきた底力を感じさせるような、
そんな花の咲かせ方をしたいなって思いました。
自分だけが満足するのではなく、
満開の桜のように感動を、いい影響を与えるような咲き方がしたいです。
もっと本音を言えば、
桜ほど華やかでなくてもいいです。
底力を付け、それを活かせるような生き方がしたいです。
今年は桜を見ながら、短いけれど満開の花を咲かせている桜の底力をも感じたいと思います。
さて、森山直太朗さんの「さくら」です。
どの映像も感動的で、迷ってしまいました。
また生で聴きに行きたいな♪
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