価値観の違いなのか、何気ないやり取りをしたつもりが、相手を不快にさせたり、攻撃されたりした経験があります。
そのため、自分の物の考え方に自信が持てなくなってしまっているというお話をします。
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目次
嫌いな食べ物はありますか?
もう何年も前の話です。
私を含めて3人集まって、食事をしていました。
1人が、
「嫌いな食べ物ってあります?」
と質問を切り出しました。当人は、
「納豆が嫌い」
ということでした。
私は、
「へぇ、そうなんですね。納豆、美味しいのに」
何気なく返しました。納豆嫌いは多いかもしれませんが、私はまあまあ好きです。
嫌いな食べ物を聞かれた2人目が、
「梅干しが嫌いです」
と答えました。
私はまた同じように、
「へぇ、そうなんですね。梅干し美味しいのに。すごく高価なのもありますよね」
というようなことを返しました。特別、梅干し好きではありませんが、梅干し嫌いな人もいるんだなあと素直に思って、出た言葉でした。
すると、質問を切り出した「納豆嫌い」の人が言ったのです。
「嫌いなものを、”美味しい”って言われると、ムカつきますよね」
納豆嫌いに共感しない私にムカついていた
後から聞いた話ですが、その人は「納豆嫌いの会」みたいなものに入っていて、会員たちと納豆をけなすという活動もするほど、納豆が嫌いだったそうです。
なので、納豆嫌いに共感しない私にムカついたのでしょう。
梅干し嫌いの人が気を遣ってくれていましたが、私は別に納豆嫌いを責めたわけではないのに、こんなふうに相手を不快にさせてしまうことがあるんだ、と驚いてしまいました。
でも、納豆が嫌いじゃないのに、納豆を否定することはできませんよ、今考えても。「美味しいのに」って、言わなければよかったのかもしれませんが。
その話をほかの人たちと語り合う
当時、そんなやり取りがあったんですよ、という話をほかの人たちにも話しました。
「納豆嫌いについて、お説教されたらムカつくかもしれないけどそうじゃなければ、別にムカつかないけど……」
ほかの人も、そういう意見だったような記憶があります。
相手に失礼かどうかの判断をするときに、自分が相手の立場だったらどうなのか?を考えるという方法がありますよね。
私も無意識に、そういう判断方法を使っていると思います。
でも同時に、自分基準になってはいけないなとも思っています。全員が、自分と同じ感じ方をするとは限りませんから。
私だったら、例え私の嫌いな食べ物を、「え~、美味しいのに嫌いなの?」と言われたとしても、ムカつきません。
「そうなんですよ、私はダメなんですよね」
で終わりです。
「好き嫌いダメだよ! 嫌いとか言ってないで食べなよ!」
と無理強いされたら、ムカつきますけど。誰だって好き嫌いはあるでしょう? 体質に合う合わないもありますし。
とにかく私は納豆嫌いの人をムカつかせてしまいました。
当時、この話をして、「あなたは別に悪くないよ」と言ってくれた知人たちが優しくて私を責めなかっただけなのかもしれないので、私がズレているのかどうなのかは、わかりません。
ただ、価値観はいろいろなので、言葉には気を付けないといけないなと思いました。
知人の体験談ですが
思い出しました。
知人の体験談です。
その人は寒がりなのか、気温が高いときでも厚着をしていました。
あるイベントに行ったときに、顔見知りに会い、開口一番、
「わっ、季節感ない!」
と、厚着について指摘され、ムカついたそうです。
周りにいたほかの人がかばってくれたと話していましたが、暑い日に厚着をしている人がいたら、「わっ、季節感ない!」という言い方はしないと思いますが、「暑くない?」くらいは言ってしまいそうです。言わないかもしれませんが、雰囲気によっては言ってしまうかもしれません。
単純な感想とはいえ、ムカつかせてしまうことになるので、言わないほうがいいということですね。
あー、でも服装については、なにも言わないかなあ。本人が暑そうにしていたら「たくさん着ているからじゃない?」くらいは言うかもしれませんが。
でも、基本、言わないかなあ……。相手との関係性にもよりますね。
その後も問題は起こる
状況によってトラブルに巻き込まれることはあっても、自分がトラブルメーカーになることはない日々を送ってきたように思います。
特に、一度放ってしまった言葉は取り返しがつかないので、気を付けるようにしてきたつもりです。
それでも、
「えっ、なんでそんなふうにとられるの?」
と思うことや、
「えっ、なんでこんなことになっちゃうの?」
という目に遭うことが起こりました。
私が傷つけた側なのかもしれませんが、私にはまったく自覚がなく、納得もできず、傷ついたし今でも傷ついているので、たまに、子供のように泣きじゃくりたくなります。
そして、自分の判断力に自信が持てなくなってしまいました。
落ち込みのツボに入ってしまうときには、正直言って、とてもつらいです。これで自分を不幸だと言ってしまうと罰が当たるので、充分自分は幸せ者だと思っていますが、つらいと感じている自分の心は否定したくないです。
今までトラブルを起こしてこなかったのは、単に周りが優しい人ばかりで、恵まれていただけなのではないかとも思えています。(そうだとしても、幸せなことですが)
信頼できる知人や友人に意見を聞く
そんなわけで、
「私、またやっちゃった!?」
と不安に思うときには、信頼できる知人や友人の意見を聞くようにしています。
ダメなときはダメ、ってハッキリ指摘してくれる人たちに相談しないと、自分が相手に失礼なことをしてしまったのかどうか、自信が持てないんです。
良かれと思ってしていることであっても、相手を不快にさせてしまうこともあるので。
知人友人たちは、
「うーん、それは反省しないといけないね」
「それは大丈夫だよ、むしろ喜ばれることだと思うよ」
と意見を言ってくれます。ありがたいです。
しかし、開き直る気持ちも!
思いがけない展開になり、しかも自分が悪者になってしまうようなことがあると、途方に暮れるばかりです。
判断に自信が持てず、周りの意見を聞く日々。
しかし、半面、開き直る気持ちも生まれています。
「これが私だし、全員に良く思われるなんてことはないんだし」
嫌われるのなら、嫌ってもらって結構!
実際、私がおかしいんじゃなくて、相手がおかしいってこともありますよね。
いや、おかしいとかおかしくないとかではなくて、大きな問題がなければ、いろいろな感性や考え方があっていいんじゃないかな。
もちろん、反省しなくちゃならないこともあると思います。
でも必要以上に、びくびくする必要はない。
周りの言動に振り回されることなく、しっかり歩んでいきたいです。
以上!
※追記
さっきまで頭の中がぐるぐるしていましたが、夏の夜のやさしさに心を慰められました。
「夏は夜(が、いとをかし)」(夏は夜が趣きがある/枕草子)とは、よく言ったものです。
人の感性の根本は、昔から変わりませんね。
子供の頃は、
「夏は早朝が気持ちいいんじゃないかな?」
などと趣きがないことを思っていましたが(笑)
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