自由に自分らしく生きていく

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思うこと

誰かのためとか自分のためとかじゃない、誰かのためは自分のためだよ

投稿日:2018年6月28日

「お年寄りに席を譲ったから、良いことあるかなあ」

「自分のためにしかがんばれないタイプと、誰かのためにしかがんばれないタイプがいる」

というような話を聞くたびに思ってしまいます。

誰かのためとか自分のためとかじゃない、

”誰かのため”は”自分のため”だよ!



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情けは人の為ならず

「情けは人の為ならず」ということわざをご存じでしょうか?

情けをかけると、その人のためにならない、

だと誤解されていることも多いのですが、間違った解釈です。

このことわざの意味は、

物事は巡り巡って戻ってくる、人のためにしたことは、自分のところに戻ってくる

だから、人に情けをかけるのは自分のためでもあるんですよ、

という意味です。

高校生のころに話していたこと

高校生のときに友人としていた話を覚えています。

「嫌なヤツって、いつか痛い目に遭うっていうけどさ。いつかなんて来ないんだよね。嫌なヤツはずっと嫌なヤツで、要領よくうまくやっていくんだよ」

そのときは本当にそう思っていました。

ところが、その後、気付きました。

因果応報は、ある。

誰かにやったひどい仕打ちは、その当人から直接返ってこなくても、巡り巡って戻ってくる。

だから、誰かを罵倒するのは、自分を罵倒しているのと同じ、

誰かを罵るのは、自分に対して罵っていることなんです。

そう考えるようにすると、罵倒する言葉なんて出てこなくなります。人のことは平気で傷つけるのに、自分は傷つきたくない人が、残念ながらいることも確かなのですが。

以前書いたブログ「個であること、宇宙の一部であること」

以前書いたブログです。

リライトしようかなと思いましたが、当時、コメントも頂いているので、このままにします。

 

内容を要約してみます。

「個であること」「宇宙の一部であること」

両方のレベルで考えることが大事。

 

個のレベルで考えると、自分の人生が一大事。

生まれてから死ぬまで、何をやって、誰と過ごして、何を目指していくのか。

 

個のレベルで考えることも大切です。

でも個のレベルだけで考えていると、行き詰まることがあります。

 

そんなときは、宇宙レベルで考えてみるようにしましょう。

宇宙レベルで考えると、自分の存在は本当に小さな小さな宇宙の細胞のひとつ。

必然的に生まれてきて、役目を終えて消えていく。

宇宙レベルで考えると、

「自分はひとりぼっち」

などと考えることもおかしくなる。

だって、宇宙の一部なのだから。

 

どちらの目線で考えるのが良いというのはでなく、「個のレベル」「宇宙レベル」、両方の目線を持つことが大切。

もっとわかりやすい例をあげてみます

例えば、ある人の右足が痛いとします。

痛む右足をかばうために、左足に負担がかかります。

しかし負担がかかりすぎると、左足も痛くなってしまいます。

足をかばうために、体のほかの部分にも負担がかかってきます。

体は痛む部分をどうにかしてかばって、バランスをとり、その人が過ごしていけるようにします。

 

――ね?

左足ががんばるのは、右足のためだけじゃないんです。

体のほかの部分ががんばるのは、足のためだけじゃないんです。

どうにかして傷んでいる部分をかばいながら、バランスをとって、その人が過ごしていけるように、存在していけるようにしているんです。

バランスが崩れたら、その人自体の存在も危うくなります。

その人自体が存在しなくなったら、体の全部分、存在しなくなります。

 

つまりは、そういうことなんだと解釈しています。

私たちは、大きな地球の、宇宙の一部です。

誰かのためも、自分のためもない。

自分も誰かも含む、大きなものの存在を守るために支え合っているんです。

「誰かのため」という考え方が嫌い

ハッキリ言ってしまうと、”誰かのため”という考え方が嫌いです。

自分のやったことが、結果的に誰かのためになって、喜んでもらうことができたら、うれしいじゃないですか。

”誰かのためにやってあげた”というよりも、「やらせてもらって、ありがとう」ですよ。

それを”やってあげた”なんて、恩着せがましい。上から目線か!(と、突っ込みたくなる)

 

最近、よく「誰かのため」「自分のため」ということを目にするので、意見を述べたくなりました。

誰かのためとか自分のためじゃない、

誰かのためは自分のためです!

そもそも「誰かのため」「自分のため」という分け方にも違和感を覚えています。

※追記

追記したくなりました。

例えば、「あなたのために××をしてあげました」と言ったって、相手がその「××」をしてもらうことを望んでいるかわからないじゃないですか。

それなのに「してあげた」なんて思われるのはイヤなものです。

良くあるのが、親が子供を「育ててあげた」。

そんなことを言われたら「産んでくれって頼んでないよ!」という、荒んだやり取りになってしまいます。

それよりも、「生まれてきてくれてありがとう」「育ててくれてありがとう」のほうが、いいですよね。

そういうこと!

 

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