年が明けました。2024年です。
年の初めには目標をたてましょう、と言われることがあります。
以前は「今年の目標」をたてていました。かなり細かく設定していたことも。
しかし、あるときからピッタリ、目標をたてることをやめました。
計画通りになんていかない、人生は思いがけないことが起こると気づいたからです。
なぜ、そう思ったのか、だったらどうしようと思っているのかを書きたいと思います。
※このブログは、今年の目標をたてることを否定するものではありません。単に、私がたてていないだけのことです。
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目次
例えば健康には留意していた
2019年11月に緊急入院し、一時期は首から下全麻痺、7か月の入院を経て退院し、3年が経過しました。
少しずつ良くなってきていますが、いまだリハビリ中です。
原因不明と言われました。あえて言えば、ストレスじゃないかと。
実際、入院前はストレスまみれ。
健康的には今も当時も、何の数値も悪くありません。
血圧はどちらかというと低め、入院中も食事制限なし、むしろ「たくさん食べるように」言われていました。
入院前から暴飲暴食をすることはなく、バランスが取れた食生活を心がけていたし、アルコールもそれほど飲みません。
アトピー体質ではあるのですが、アトピーが出るのは、どうやらストレスを感じているときらしいです。
昨年、アレルギーテストをしてみましたが、目立ったのは杉アレルギーくらいでした。(花粉症なので、わかっていたこと)
入院前、ストレスまみれでしたが、「健康でさえあれば、どうにかなる、大丈夫」と思っていました。
健康であることに感謝して、健康を大切にしていたのに、緊急入院になってしまった。
つまり、それくらい健康に気を付けていて、健康体であっても、緊急入院に至ることもあるということ。
もちろん、だからといって不健康に過ごしてもいいとは思いませんが、それくらい人生というのは予測不能です。
「今年も健康で過ごす!」と、敢えて目標に掲げていません。
「バランスが取れた食生活」「健やかな日々」を心がけていますが、それは当たり前で、目標というほどのことではないと思っています。
(緊急入院を経て、今もリハビリ中ではありますが、おかげですべての悩みが解消し、やっと自分らしく生きられるようになったので、むしろこの経験で助かりました)
例えば「今年の目標」をたてていたら逆効果だった
入院中も退院してからも、
「とにかくもっと歩けるようになりたい」
を目指してきました。
いわゆる、目標です。
でも特に、期限を決めての目標にはしていませんでした。
つまり「今年の目標は、××くらい歩けるようになること」というふうには。もちろん、早く達成したい目標ではありますが。
これを例えば「今年の目標」として期限を決めてしまっていたら、落ち込んだり挫折感を味わったりすることになったと思います。
理由は、気持ちは先走りするけれど、現実の回復は超スローだからです。
少しずつは回復していますが、本当に少しずつのため、期限を決めての目標にしてしまうと、
「今年中に達成できなかった・・・」
と落ち込むことになったでしょう。
それよりも、
「スローだけど、確実に回復している。焦りは禁物」
と少しずつの回復に感謝していたほうが、精神的に良いです。
焦って落ち込むよりも、今できるベストな方法をとって、楽しく過ごすことが日々の幸せにつながります。
つまり、目標のたてかたによっては、むしろ逆効果になるということもあるのではと。
地道な努力でしか底力は得られない
今年の目標をたてないのは、目標をたてたところで思いがけないことが起きてしまえば目標どころではないのだから、と思っているというのがあります。
だからといって、すべてに投げやりになっているわけではなく、目標とかとは関係なく、目の前のことに誠実な気持ちで取り組んでいくことを心がけています。
しかし、その誠実な取り組みでさえ、即、良い結果に結びつくとは限りません。
例えば私は、中学時代にバスケット部に入り、運動神経鈍くて気が強いほうでもないのにかかわらず、上下関係も練習も厳しい部活動をやり抜くことで、素晴らしいものを得られるのではないかと期待していました。
「頑張ったおかげで、こんな感動的な経験ができた!」みたいな。
ドラマや映画のように、頑張ったら、それなりに結果を出せるのではないかと。
しかし、当時、頑張った結果は「それをやり遂げた」ということだけでした。
それ以上でもそれ以下でもなく、特に感動するようなことは起きませんでした。
挫折感を味わいました。「頑張ってきたのに、なんにもならなかった」と。
ところが、それは無駄なことではなかったと、後に気付くことになります。
考えたら、そう。誠実に頑張ったことが、まったくの無駄になんてなるはずがない。
直後にはわかりませんでしたが、しばらく経って、わかりました。
無意識に、頑張っていた当時の思いがよみがえるようになったのです。
「もうだめだ、くじけそう」と思うとき。
苦しくて、逃げたかったけど、
「こんなことで逃げるもんか、頑張るんだ、頑張るんだ!!」
必死に踏ん張ったときの思いが、ぶわーっと吹き上がってきます。
そして、「負けるもんかぁぁぁぁーーー」と、パワーがみなぎるのです。
そう、無駄な努力と思った、
カッコよくもない、むしろカッコ悪い、泥臭い努力のおかげで、
その後の人生を生き抜く底力を得られました。
それは、どんなにお金を出しても買えない、生きていくために大切な宝物。
「努力」という言葉は、力が入りすぎてしまうので好きではないのですが、地道にコツコツ(つまりは努力)でしか、人生を生き抜く底力という宝物は得られません。
点と点がつながってきた
そんな感じで、入院前は目の前のことを誠実にこなしていくことに取り組んでいた日々でした。
頑張っているつもりが手ごたえがない、を繰り返していて、
「なにか力の入れどころを間違えているのではないか」
と、いつも悶々としていました。
しかし、なにがどう間違っていて、どうしたら良いのかもわからなかったため、淡々と目の前のことに取り組むしかありませんでした。
どうしたらいのかわからないときには、とりあえず目の前にある、良かれと思うできることをしていく、それがベストなことだと思っているからです。
足を止めたら動けなくなる。
頑張っているつもりが成果は出ず、やったことは別々の点になり、点と点はバラバラで、まるで形にならない日々でしたが、不思議なことに、入院したあたりから、別々だった点がつながってきた気がしています。
点と点がつながり、なにかしらの意味を持つ力になっていると気づく機会が増えたのです。
入院中のリハビリでは、
「運動神経がいいですね」
と何度か言われました。
生まれてこの方、運動神経が良かったことはなかったのですが、体の使い方がうまいのだそう。
運動音痴でも運動をしてきたことの成果かもしれません。
また、向いていないと思いながらも、愚直に誠実にこなしてきた仕事が実績になり、案件獲得につながったりとか。そのときの経験が活きたりとか。
要するに、今まで結果は出ずとも誠実に取り組んできたことが、やっとつながってきて、今を生きていく力になっている。
こうなってみてつくづく思うのは、成果が出なくても、カッコよくなくても、むしろカッコ悪くても、投げやりにならず、コツコツ、自分の心に恥じないようにしてきてよかったということです。
他人の評価を気にするよりも、自分の心に恥じないように生きるのは、私にとっての正解です。
こんな日が来るから、人生っておもしろいですね。
昨年末に引っ越しをしたのですが、ここにも不思議な縁があり、これがどうつながっていくのか、楽しみです。
今年の目標はたてないけれど、志(こころざし)はある
「今年の目標は〇〇です!」
と年初めに目標をたてるのはやめましたが、何も考えていないわけではありません。
今まで通り、目の前のことに誠実に取り組んでいく。
また、自分が学んだことは、なにかの参考になるかもしれないので、シェアする。
私自身が、いろいろなことに学び励まされてきた経験から、自分もまた返していきたい気持ちがあります。
それと、自分が力になれることは力を貸していくこと。
困っていて、一人で悩んでいて、助けを求めている人もいると思うので。
これも自分の経験を踏まえて思うのですが、ほんの少しの他者の力で救われることもある。
だから、困っている人を一人にしない。
ただし、無理をしない。自分を犠牲にしない。
そして、穏やかにゆったり過ごす。
「今年の目標」はたてないけれど、常に以上のような志を持って過ごしていきたいと思います。
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