「そうじゃないのに!」
「なんでそんなふうに、とられるのかな?」
思いもよらない誤解をされてしまうことってあります。
そんな場合、誤解をとこうとする努力は必要なのでしょうか? どうせわかってもらえない、無駄な努力になるから、不要なのでしょうか?
スポンサーリンク
目次
人は自分の都合のいいように解釈する
「誤解」というほどのことではなくても、普通に話をしていても、
「え? そんなふうに思った?」
と意外に感じることがあります。
「そこ? そこをポイントとして受け止めたの?」
とか。
人は自分の経験や状況によって、自分の都合がいいように話を解釈するものです。
例えば、
「××駅前で、芸能人●●が来ていて、ケーキの特売をやっていたよ」
という話を聞いた場合。
Aさんは、
「え! ××駅前で!? 駅のどっち側!?」
Bさんは、
「え! 芸能人の●●が来てるの!? サインもらえるかな!?」
Cさんは、
「え! ケーキの特売!? どんなケーキを売ってるの!?」
というふうに、興味がある部分を強調して受け止めます。
話し手が『芸能人の●●』を強く伝えたかったのであっても、受け手が『芸能人の●●』にまるで興味がなければ、繰り返しその部分を強調して伝えても、
「芸能人の●●には興味ない!」
で終わりです。
自分を正当化する労力はむなしい
誤解ともいえないような、
「伝えたかったことが思ったように伝わらなかった」
という上記の例のようなことは、あまり害がありませんが、自分の言動が悪く誤解されてしまったときに、その誤解をとくことをするべきなのでしょうか?
気づかずに相手を不快にさせてしまったということなら、謝ることも必要です。
しかし、伝えたかったことがまったく伝わっていないと感じたときも、わかってもらう努力は必要なのでしょうか?
例えば、
「は? なに言ってるの? 全然わかんない! そういう考え方、大嫌い」
と言われてしまったとき。
「どういう意味?」と真意を知ろうとしてくれている相手に対して説明するのとは違い、頭から「全然わからない」と言っている相手に対して、
「あなたが受け止めた”そういう考え方”の部分は、誤解である」ということを説明するためには、自分を正当化しなくてはなりません。
「自分は、コレコレの事情でナニナニというふうに考えたのであって、そういうつもりではなかった。この考え方、わかってもらえないかな?」
ということを訴えることになります。
”そういうつもりではなかった”部分を頭から否定してくる相手に自分の正当性を説明するのは、とてもむなしいことです。そもそも自分が正しいのかもわからないのに、そう考えるのに至った自分の正当性を説明するなんて。
そして、言葉を尽くして説明をしても、頭から否定してくるような相手は理解してくれないかもしれません。
では、誤解をされても、そのままにしておいたほうがいいのでしょうか?
建設的な話し合いとは?
誤解をされたとき、誤解をとく努力をしたほうがいいのか?
私は、それが建設的な話し合いになるのなら、するべきだと考えます。お互いの誤解をとき、理解を深め、この先誤解しあわないようにしていくための話し合いなら大いにするべきです。
不要なのは、感情のぶつけ合いになり、誤解されたままに終わり、状況が改善しないような議論です。
感情のままに発する言葉は凶器にもなります。
一度、発してしまった言葉は取り返しがつきません。
普通に話した言葉でも誤解されてしまうことがあるのに、感情的になり、相手を攻撃する目的で発する言葉は、できる限り抑えたいものです。
相手は自分の鏡です。相手にぶつける言葉は巡り巡って、自分に跳ね返ってきます。
感情的になりそうになったら、相手を自分だと思うようにすると、抑えることができますよ。
伝えることはするべき?
伝わらなくても、誤解をとく努力をするべきでしょうか?
取り付く島もないという場合は別としても、とりあえず一度は誤解をとこうとすることは無駄ではないでしょう。
人は変わるものです。そのときは理解してもらえなくても、時間が経ってから、あるいは後日、なにかの瞬間にわかってもらえるときがくる可能性もあります。
建設的な話し合いになるかどうかも、試みてみないとわからないこともありますしね。
また、わかり合えない同士なら、少しずつ離れていけばいいと思いますが、どうしても離れられない関係性の場合、疲れるけれど、繰り返し繰り返し、同じことを伝えて、誤解をとく、わかってもらうということをしたほうがいいのかなと思います。
何度繰り返してもわかってもらえないかもしれませんが、なにも伝えなければ、もっとわかってもらえません。
あまりにもわかり合えない相手なら、結論のYESかNOかだけ、伝えると良いかもしれませんね。
つまり、なにか嫌なことがあるとしたら、それがどうして嫌なのかを伝えようとしても不毛なので、「とにかく、それが嫌なんだ!」と伝えること。理由は、説明してもわかってもらえないかもしれないので。
しかし同じ国の言語を話していても、「こんなに通じないのか」と唖然とすることもあり、そういう相手には時間をかけてもわかってもらえないかもしれないし、わかってもらえなくてもいいのだと思います。
感性が違いというのはあるし、どういう感性が正解ということもないですし。
理解しあおうとすること、理解できる部分で協調していくこと、良い距離感を持つこと、大切なことなのに、なかなか難しいものですね。
※余談
私は「努力」という大げさな言葉が好きではないのですが、今回はたくさん使ってみました。「ドリョクッ(握りこぶし!)」使っただけで、なぜかチカラが入ってしまう言葉ですね(笑)
あなたの”一生懸命”を応援します☆
書いて描いて弾いて占います。
複数ブログ運営中!更新報告はtwitterから!フォローお願いします!
Follow @Ruca_moon
スポンサーリンク