先日、ムビラ奏者・実近修平さんのインタビューを掲載しました。
ムビラとは、アフリカ南部の国、ジンバブエの伝統楽器。
そしてパソコンを開くと、ジンバブエで起きた事故のニュースが飛び込んできました。
なんでことなのでしょう……。
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目次
貧しい生活を送るジンバブエの人たち
私が2011年に訪ねたジンバブエのムビラプレイヤーたちが暮らす家は、お金持ちっぽかったとは言えません。
正直、
「この家に、こんな多くの人たちが暮らしているの?」
と思ってしまいました。トイレもシャワーも”一応ある”という感じ。
もちろん、ジンバブエに住む人たち全員が貧しい生活をしているわけではありません。
それなりの家に住む人たちもいます。
首都のハラレには、観光客も安全に泊まれるきれいなホテルがあります。
食料がなく、みんなが飢えているわけでもありません。
しかし私が訪ねて行ったのは、お金持ちを感じられる家ではありませんでした。
だからといって、生活する人たちがつらそうに見えたわけではありません。
「貧しいといいながら、なぜ働き盛りの若い男性たちが家にいるの?」
というのが真っ先に感じたこと。たぶん、働きたくても仕事がなかったのかも。
訪ねて行った私に御馳走してくれて、みんな笑顔で楽しそうに暮らしていました。お金がなくて不幸な感じは、まったく受けませんでした。
違法な採掘をしたのはお金のため?
「お金なんてなくてもいい」とは思いません。今のシステムの社会で暮らすにあたり、お金は必要。
そして、「貧困は心を引き裂いてしまう」と思っています。
特に、食べるものも住むところにも困るような貧困は。
しかし、とりあえず食料と安心して住める家がある場合、あとどれくらいお金があれば幸せなのかは難しいところ。
以前、「本当に尊いものはなんなのだろう」をテーマにした物語を書きました。
曲とコラボした動画はコチラ。(イラスト・編集も担当)
今回の事故……、違法な採掘をしたのは、一獲千金を願う動機からでしょうか?
そのお金は、本当に必要なものだったのでしょうか?
必要なお金だったのなら、その手段でしか得ることができなかったのでしょうか?
”豊かさ”とはなにかと、それぞれの心に問いかける
ヒロシマの被爆者の方のインタビューをしたときに、次のようなやり取りがありました。
「あの頃は、生まれて生きていてくれればいいというのがありましたからね。とにかく自分より長く生きてくれというのが」
――今はなんなんでしょうね、もっともっと、というか、私たちは、もっと夢を持て、もっと上を目指せ、ということを教えられてきたんですよね。本当は生きていて平凡でも毎日過ごせていられることが幸せなのに、それじゃダメだと刷り込まれていて、だからそれ以上できないといけないと思っていて、上に行けない人は挫けてしまうというか。
「人間の欲望はすごいですからね。
欲望がいい方向に行けばいいんですけどね。
人間の耐える力とか、力を合わせる力というのは素晴らしいと思うんですが」
向上心を持つこと、素晴らしいと思います。
私自身、一生、学びだと思っています。
だから、投げやりになることは良くないとは思いますが、「もっともっと」と上を目指しすぎてしまうことも良くないと感じています。
人それぞれ、考え方も環境も求めるものも違うので、ひとくくりにするつもりはありませんが、多くを求めすぎて、大切なものを失ってしまうことだけはしたくはないもの。
”豊かさ”って、笑顔があること、思いやりがあること、安らぎがあること。
私にとっての豊かさとは上記です。
それぞれの”豊かさ”について、心に問いかけてみてください。
得れば失う。
「もっともっと」の気持ちに歯止めがきかなくなり、求めすぎて、本当に大切なものを失ってしまうことになりませんように。
流れを変える、意識を変える☆
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