皆さんは、どうやって「右」と「左」を覚えましたか?
小さいころに覚えたと思われますが、その覚え方はどのようなものでしたか?
どうやら最初に覚えた「右」と「左」の区別の仕方が、その後の生活の中で「右」「左」を判断するときに、大きく影響するようです。
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目次
「右」と「左」の判断が遅いことに気づく
10代の学生のころだったか、
「どうも自分は、それが右か左かを判断するのが遅いような気がする」
と気づきました。
たいした問題とも思わず流していたのですが、その後も、
「右と左の判断が、ほかの人よりも遅い」
と思うことが、ちょこちょこ出てきました。
一番焦るのは、自動車に乗ってナビをしているとき。
「そこの道を、えっと……」
そこの先を”右折”なのか”左折”なのか、とっさに判断ができないのです!!
自動車は当然、歩いているよりスピードが出ているので、とっさの判断がとても重要なのに、それが”右”なのか”左”なのか、出てこない。

それで「そっち側です!!」と、”右”か”左”の言葉の前に、指をさして伝えることが多いように思います。
とにかく伝えなくてはならないので、”右”か”左”かの判断に時間がかかるのなら、ジェスチャーしかないでしょう。
「右」と「左」をどうやって覚えたか
そんな経験を繰り返すうち、最初の覚え方が影響しているのかなと思いつきました。
多くの方は、どうやって「右」と「左」を覚えるのでしょう?
『お箸を持つほうが右』
と覚える方が多いのでしょうか?
私も、『お箸を持つほうが右』で覚えたら、今よりは「右」「左」の判断が早くできていたように思います。
私が「右」「左」を覚えたのは幼稚園の教室
記憶している限りでは、私が「右」と「左」の判断の仕方を覚えたのは、通っていた幼稚園の教室でした。
幼稚園の教室の前方の上の方の壁に、大きく、「みぎ」「ひだり」と貼ってありました。
もちろん右側に「みぎ」という文字が、左側に「ひだり」という文字が。
幼稚園ですから、たぶん、平仮名だったと思います。
そのあたりの記憶は定かではありません。
平仮名かどうかだったのは重要ではなく、とにかく私は、その幼稚園の貼り紙で「右」と「左」というものを認識し、頭にインプットしたのです。
「右」「左」を判断するときに幼稚園の教室を思い浮かべる
だから私は、それが「右」か「左」かを判断するときに、必ず幼稚園の教室の風景を頭に思い描きます。
えーと、教室がこんな感じであって、前の壁の上の方に貼り紙があって……、こっちに右って紙が貼ってあったから、
「(だから)これは右ですね!」
みたいな思考回路で、「右」と「左」を判断します。
幼稚園の教室を思い浮かべて、貼り紙を思い浮かべて……、とやっているから、その分、判断が遅いのだと思います。
『お箸を持つほう』で覚えている人よりも、確実に遅いように思います。
最初の覚え方が肝心
途中までは、
「私、右と左の判断が遅いの~(^▽^)」
と笑い話にしていましたが、いつまでたっても判断が遅いままで、素早い判断に迫られたときに、
「あっちです!」「こっちです!」
指差しをしているよりも、判断の仕方を直したほうがいいと思うようになりました。
「右」「左」の判断の仕方、覚え方はいくつかあるようですが、とりあえず一番わかりやすいのは『お箸を持つほうが右』かな。。
しかし、最初に覚えたことっていうのは、その後を左右しますね。(”左右しますね”って、シャレじゃないです(;^_^A)
今回のような「右」と「左」の判断の仕方のようなことであれば、自分で気づけることもあるけれど、全く気付かず、「それが当然」と思い込んでいることもあるでしょう。
難しいかもしれませんが、広い視野を持って、疑いもなく「当然」と思っていることでも、偏りのない見方がしていければと思います。
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≪…”右”か”左”の言葉の前に、指をさして伝えること…≫から、[手]を[表]から観る時の[親指]のある[方向]が[左][右]を決める。この約束を最初に命名したのは誰か?
「上下」「前後」「左右」といった位置を表す言葉を、[ヒト]が重力場に存在する時の[合掌]の祷りの行為で捉えタイ・・・
合掌の禱りの親指を天に向ければ、それが[上]で、他の指の方向は[前]である。 その逆は、[下] [後]である。
「左右」は、合掌の禱りの行為を終え親指を天に向けたままで[手]の表を観る時の[親指の方向]は[左]を呈示し、身体の手の繋がりで[手]の表を見る側が[右]である。
[手]の表を観る行為と[親指]と[方向]で捉えタイ・・・