アドバイスしてもらえること、ありがたいと思います。
でも、アドバイスしてもらっても「ん?」と引っかかってしまうパターンについて、綴ります。
そのアドバイス、本当に善意のアドバイス?
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目次
うれしいアドバイス
困っている時、「こんな方法があるよ!」とアドバイスをもらえることがあります。
これは本当にうれしいアドバイス。目の前が明るくなることも。
知らなかったけど、必要な、役立つ情報の場合です。
そこから、抱えていた問題の解決へ向かうことができるかも!
また、例えば自分が習いたいことがあるとして。
「良いスクールないかなあ」
と相談した時に、
「自分が通っている××っていうところ、すっごく良いよ! 一緒に通おうよ!」
とアドバイスをもらったとします。
見返りが何もないのに「一緒に通えたら楽しいよね」という善意の気持ちでのアドバイスは、うれしいものだと思います。
望んでないアドバイス
反対に、うれしくないアドバイスとはどんなものでしょうか。
例えば望んでもいないアドバイスをもらっても、うれしくないものです。
説教じみたアドバイスもNG。
最近の経験では、欲しくも無いものの購入を勧められたアドバイス。
表向きは、
「それがあったら、すごく便利」
が勧めている理由。
しかし冷静に考えて、「それ」はまったく必要ではなく、「それ」を勧めていること自体が不自然。
その上、もしかして「それ」を購入すると、その勧めている人の利益になりそうだと考えられる。(リベートもらえるとか)
まったく欲しく無いものだったので、興味なさそうにしていたらあきらめた様子でした。
善意っぽいけど疑問を持ったアドバイス
これも実体験。
ある所有物が壊れたのです。
作った職人さんに連絡をしたところ、すぐに修理ができない(自分が行くことも、私から行くことも不可能)だったため、私が応急処置をすることに。
糊で貼る程度の修理だったのですが。
「また何かありましたら、連絡ください」
と言われ、電話を切りました。
その後、関係者に報告をすると、怒りの反応が!
「自分で直せなんていう業者、聞いたことない!」
と。
「これからも修理が必要になるかもしれない。今後のためにも、担当の業者を変えたほうがいい!」
私のことを心配してくれているアドバイスに思えます。しかし、すんなり受け入れられなくて混乱しました。
職人さんだから、自分が作ったものには愛着があるだろうけど、自分が作ったものではないものの修理に対してはどうなんだろう?
「仕事なんだから、頼めばなんだって修理はしてくれますよ!」
そうでしょう。その通りだと思いますけどね。うーん、でもできれば、作った職人さんに頼んだほうが良くない? 1回の対応で即「変えろ!」といきり立つのは、どうなんだろう。
そして続いた言葉に「ん?」。
「変えてもらうように頼んでみて、もし動いてくれないようなら自分が動きますよ!」
善意のように思えるアドバイス。ありがたい、のかな?
もしかして、自分の仕事にしてしまおうとしてない? その自分が知っている修理屋さんを紹介することで、利益があるのでは??
相手に利益があるのは、うれしいけど
つらつら書いてきたら、まるで私が相手にメリットがあることはしたくない人のような気がしてきましたが、そんなことはないと思っています。
自分もうれしい、相手もうれしいのは、望むところ。
しかしなんとなく善意を装った計算高さが見えてしまうと、嫌悪感が沸いてきます。
嫌悪感が沸いてくると、信用もできなくなる。
1つ信用ができないことが起きると、ほかの面でも信用ができなくなってくる。
こんな流れで、もしかしたら自分にとって大切な縁を切ってしまわないよう、心をやわらかくして、物事を見つめていきたいと思います。他人を自分の鏡にもしつつ。
ライター、タロット占い師、ムビラ弾き♪
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