先日、通販で服を買い、届いてみたらサイズ違いでした。
「サイズ違いが届きました」
と連絡をしようと思いましたが、”出品者に連絡をする”リンクが見当たりませんでした。
以前は連絡を取るボタンが設置されていたのかもしれません。とにかく先日は見当たりませんでした。
服を選ぶのにも時間をかけ、やっと選んで購入した服が届くのを楽しみにしていたのに、サイズ違い。
先日のこの体験がきっかけで、
「今後は、やり取りで癒される心も合理化されていくのだろう、でもその先に起こるものは?」
と考えてしまったことを綴ります。
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目次
返品するか、そのまま着るか
”出品者に連絡”ボタンは見当たりませんでしたが、調べれば問い合わせる方法はあったと思います。
でも、問い合わせはしませんでした。
その商品は「残り1着」だったため、交換はできないようでした。つまり、問い合わせたところで返品するか、そのまま着るかの二択。
出荷するはずだった「残り1着」が残っているはずでは?とも思いますが、問い合わせのリンクが設定されていない時点で、そんな細やかな対応をしてもらえるとも思えませんでした。
そこで届いたサイズ違いの服を合わせてみたところ、運よくピッタリ。
少し余裕をもって大き目を注文しましたが、
「ピッタリだからいっか」
と思い、返品はせず着ることにしました。
行なわれなかった「やり取り」
もしも問い合わせのボタンが設置されていたら、すぐに出品者に連絡をして、以下のようなやり取りをしただろうと想像します。
私「サイズ違いが届きました」
出品者「申し訳ございません。ところが、1点限りだったので交換する商品がありません。できる対応としては、返品しかないのですが」
私「合わせてみたところ着られそうだったので、このままでいいです」
出品者「良かったです!ご迷惑をおかけいたしました。ありがとうございます」
適当にやり取りを妄想しましたが、もしかしてこんなやり取りをすれば楽しみにしていた商品のサイズ違いでイライラしてしまった気持ちもおさまったのかな、と。
少し前に起きた不良品についてのやり取り
やり取りで気持ちがおさまる?と思われてしまうかもしれませんので、実際にあったエピソードを紹介。
少し前に別の通販で買い物をしたところ、届いた商品に穴が開いていました。
即、出品者に連絡。
すると、すぐ返信が来て、新たな商品を送りなおしてくれるとのこと。
単純ですが、
「なぜ、検品をきちんとしてから出荷しないんだー!」
とカーッとしていた気持ちが、シュッと鎮火しました。
怒りどころか、
「迅速な対応をしてくれて、なんて誠実な出品者なんだろう!」
と、むしろ幸せな気持ちになれたのです。
やり取りで癒される心はあると思う
まあ、でもこれは私が単純だからということだけではなく、ミスがあったときのやり取りで癒されることはあると思うんですね。
以下は、クレームを言われる側の立場になった正社員のころのエピソードです。
届いた商品にミスがあり、怒りモードで連絡をしてきたクライアントさん。
配送業者のミスとはいえ、
「申し訳ございません」
と謝罪し、なるべく迷惑がかからない対応を提案したところ、明らかに相手の怒りがシュッと鎮火しました。
このような体験が、このほかにもあります。なのでミスは無いほうがいいけど、ミスが起こってしまった後の対応がとっても大切だなあと思うのです。
同じように感じる人が多いのだとすれば、ミスによって生まれた怒りは、対応次第によって即、鎮火する、そして良いもの(相手の誠実な対応に幸せになる)に変化することすらあるのではないかと。
今後、合理化が進むにつれ失われるもの
問い合わせボタンをわかりやすいところに設置すると、問い合わせが簡単にできるようになり、対応しなくちゃならなくなるから手間が増える、対応する人員の確保も負担になる、
だから、容易に問い合わせをできないようにすることが今後、普通になっていくのかもしれません。
今回のサイズ違いのように、「この商品には在庫がないようだから交換はできない、返品するかしないかの選択しかない」と自分で判断するのが当たり前になるのかもと。
今回はピッタリサイズで着られるからよかったとはいえ、
「楽しみにしていたのに、サイズ違いだった」
というモヤモヤした気持ちは癒されないまま、自分の中に押し込めることになりました。
たいしたことではないかもしれないです、サイズ違いが届いたモヤモヤなんて。たぶん少し経てば忘れてしまうようなこと。
でもね、小さなストレスでも積もっていけば大きくなります。
感情は押し込めたことで忘れられ、消えてしまったように思われがちですが、実は消えずに残っているということもあると思います。
その体験はこちら↓
たぶん自分では意識していなくても、無意識のうちにストレスは心を攻撃してくるかもしれません。
「面倒なやり取りを省略する」という合理化。きっとそういうことにも慣れていくのでしょう。
でも、そんな小さなストレスの積み重ねが、知らず知らずのうちに心の負担になることも考えられます。
ちょっとした手間をかければ、怒りが幸せに変化することもあるのにね。
今後、合理化されていく社会で生きていくためには、小さなストレスを溜めないような工夫をしていくことも必要になるのかもしれないと思った体験でした。
ライター、心理カウンセラー・タロット占い、ムビラ弾き♪自由に自分らしく輝けるお手伝いをします☆
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