娘さんが逮捕されたことで、記者会見で頭を下げるタレントさんの姿を見て、思い出したことがあります。
私は特に優等生ではありませんでしたが、大きな問題を起こしたこともありません。悪いことをしたため親が呼び出されて、頭を下げてもらったこともありません。
そんな私ですが、自分のために頭を下げる親を見たくないと思った経験があります。
スポンサーリンク
目次
出版されるはずの本が出版されなかった
その日に限って雪が降っていました。
そんなこともあり、雪が降りそうな今日、娘のために頭を下げるタレントさんを見て、思い出してしまいました。
以前、ここで書いているときのことです。
20代前半のころです。
出版社2社に声をかけられました。投稿した小説が良かったので、出版したい、ウチで書いてくれませんか、と。当時は作家不足だったということもありました。
1社にしぼるようにという編集さんのアドバイスに従いましたが、どうしたことか出版の話は延び延びになり、結果的に流れてしまいました。
そこで父親が心配して周りに相談したようで、某出版社のエライ方を知っているという知り合いの方が、そのエライ方を紹介してくれるということになりました。
紹介してくれた方と、父親と私と、エライ方を訪ねました。先にも書きましたが、その日に限って雪が降る寒い日でした。出版社前で待ち合わせをしました。
エライ方は、当時の私から見ると、本当にエライ方という感じでした。父親は見下されたようなことを言われても、笑いながら、その方と話していました。
心が痛みました。私のために、こんな状況になってしまっているんだ、と。
話が終わり、出版社前で知り合いの方とも父親とも別れました。
「本、出るといいなあ」
雪の中で、父親が言っていた姿が記憶の中にあります。
私は思っていました。もういい。もし本が出ないとしても、こんなのは耐えられない。自分のために、見下されても頭を下げている親の姿なんて見たくない。それなら本なんて出なくていい。
「大丈夫」にならならなくちゃと思った
エライ方は編集部に私の小説を紹介してくれたようですが、まるで相手にされませんでした。
「(エライ方とは)どんな関係なんですか?」と、(嫌味のように)言われた記憶があります。
結局、持ちかけられた”本が出版されるという話”は、そこで途絶えました。その後、某賞に入選したり、作品が単行本に掲載されるようなことはありましたが、その先につながっていくようなことにはなりませんでした。
この雪の日の一件があってから、親に対しては、心配されたくない、心配をかけるような報告もしないようにしよう、「私は大丈夫」という顔をしていなければと思うようになりました。
過剰な罪悪感を持たなくていい
私は少なからず、”謝罪”ではなくても、自分のために頭を下げている親に対して罪悪感を持ちました。申し訳ない、と。自分がダメだからだ、自慢の娘になれなくても、せめて心配をかけるようなことはしたくなかったのに。
しかし父親は娘のためになると思ってやってくれたことだと思います。
良かれと思ってやったことで、娘がずっと罪悪感を抱えてしまうことになるなど、予想したでしょうか。
「(親に)心配をかけないように生きていこう」という気持ちは、間違ってはいないと思います。
しかし過剰な罪悪感は必要ないと気づきました。
人は自分を映す鏡だと考えると、私もまた「良かれと思ってやったこと」で、誰かに罪悪感を持たせてしまったことがあるのかもしれません。自分では全く気づかないうちに。
なんて怖いことだろうと思いますが、「良かれと思ってやっている」なら、今後やってしまっても、気づけない可能性が高いです。
この世のことは巡り巡っている、自分が誰かにしたことは自分に跳ね返ってくる。
自分がやったことが正しいにしろ間違っているにしろ、正しい間違っているの基準なんてないにしろ、なんらかの形で自分に戻ってくる。
世の中のことが巡り巡っているのなら、まずは自分自身が「過剰な罪悪感を持たないこと」からやってみるしかないのかもしれません。
更新報告はtwitterから!フォローお願いします!
Follow @Ruca_moon
スポンサーリンク