「きれいにノート、とってるなあ」
高校1年生の頃。
授業中に先生が、私がとっていたノートをのぞいて、感心したように言った。
意識してきれいにノートをとっていたつもりはなかったから、驚いた。
そして、うれしかった。
だから、きっと今でも覚えているんだ。
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目次
私がとっていたノート
当時の私は、ノートに何本か色ペンも使って書いていた。
たぶんその色とりどりの様子が、きれいに見えたのだろう。
全然達筆ではなくて、丸文字で。
わかりやすく、楽しみながらノートに書きこんでいた。
今回のタイトルにした「失ったもの」とは、例えばこんなふうに、きれいにノートに書きこむことの楽しさ。
パソコン、スマホが普及してきて、文字を手書きする機会はめっきり減った。
私は学生時代からずっと、思ったこと、気になった言葉などをノートに綴り続けているけれど、字がめちゃくちゃ下手になった。
というより、ミミズが這ったような文字というの?
パソコンを打つようなスピードで字を書こうとしてしまい、追いつかないから、ミミズが這う。
それと、文字を書く機会が激減し、文字を書く筋肉が衰えたのだと思う。
だから以前のような調子では、字が書けなくなった。
職場で文字を書く業務があると、少しだけうれしい。
本のページをめくる豊かな時間
小説を読むのが好きだった。
1冊読み終えると、本屋さんに行く。
わくわくしながら「次はなにを読もうかな~」と本棚を眺める。
通学、通勤をするときには常にバッグの中に本。
電車の中で読むのが日課だった。
ページをめくり、文字を目で追いながら涙ぐんでみたり、ふっと笑ってしまったり。
あの豊かな時間は、今の私にはない。
本を読むとしても速読のような勢いで、内容だけつかんで次へ次へと。
興味を持つものの、読めない本が増えていき、興味を持ったことすら忘れていく。
時間がない。
時間に追われすぎて、追いつくのが精いっぱいで、ゆっくりと読書を楽しむ時間を失ってしまった。
だらだらと、楽しく安らぐ長電話
学生時代には、学校で友達と会っているのに、帰宅してからまた長電話をしていた。
なにをそんなに話すことがあったのか。
社会人になってからも、友達と会わない日には長電話。
濃い内容を話していたわけではなくて、雑談だったと思うけれど、話は尽きなかった。
でも最近は長電話なんてまったくしない。
電話自体、ほとんどしない。
自分もだけど、みんな忙しいから。
長電話している時間なんてないのだ。
だけど、どうでもいいような近況をだらだらと話すことで安らぎを得ていたなあと思う。
楽しい時間だった。今は、もうないけど。
失ったものなんて、なにもない
タイトルに「失った」と入れておいて、ここまで書いてきてなんなんですが、実は失ったものなんてなにもないのかもしれない。
手前味噌ですが、下記は以前書いた小説の中に出てくるセリフ。
「あのね、失ったものばかり見てしまうのは、もうやめようと思って。
というか、実は失ったものなんて、なにもなかったのかなとも思って。
人はね、失ったりしないのよ、きっと。失ったと思ってしまったものを見つめ続けるより、得たもの、というか、気付けたものね、それを大切にしていこうかなって」
ノートに書きこむことも、本を読むことも、語らいの時間も、実はなにも失っていない。
それらがやりたいなら、またやればいい。
「失った」と思うよりも、気付けたものがあるのかもしれなくて。
例えば、ノートに書きこむ楽しさに気付けたなら、敢えてまたそれをやればいい。
語らいの時間が大切だと気付けたのなら、できるだけそういう時間を持つようにしたらいい。
やり方を変えても、大切だと気付けたものにアプローチしたらいい。
そう、「失った」のではなく、気付くチャンスを与えられたと考えればいい。
失ったと思わなければ、気付くチャンスもなかったのだろうから。
うん、気付くチャンスがたくさんあるだけ。無駄なことなんて、なにもないんだ。
流れを変える、意識を変える☆
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