帰宅してベランダに干してあったものを取りこんでいたところ、またまたお亡くなりになっている蝉(セミ)がいました。
「え? また?」
確か3度目になるので、過剰に驚きはしなかったのですが、
「ここのこと、聞いたんですか? わかりました。簡単ではありますが、埋葬させていただきますね」
実は虫が、ちょ~、ちょ~、ちょ~苦手なのですが、今回は冷静に、でもなるべく見ないようにして、
「ごめんなさい、すみません、苦手なんです、悪気ないんです、ごめんねっ」
と心の中で謝りながら、チリトリに載せて、道端の土の上に埋葬させていただきました。お疲れさまでした、と合唱。
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目次
香川照之さんのインタビューが素晴らしかった
ここで紹介されていた、俳優の香川照之さんのインタビューが素晴らしかった。
常に飢えていることが美しさであって、満たされた状態がいかに醜いか。
昆虫は、人類よりずっと昔から地球上に存在する生命体なんです。そこから、さまざまに枝分かれして人間が誕生しました。人間は、生物の末端として生まれてきているわけだから、大先輩の昆虫に対し「気持ちが悪い」だなんて……生意気です!
中略
婚姻関係、社会性、階級社会など、そうした社会システムも、人間よりずっと先に昆虫がつくり上げたもの。この世の中で人間が初めてつくり上げたものなんて、実はそんなにないと思うんです。つまり、われわれ人間がしていることは昆虫の後追いにすぎない。昆虫はご先祖様なんだから。子供が昆虫を捕まえてきたら、ご先祖様として拝んでほしい(笑)。
人間は「すべての生物の一番上位に立っていい」と言われ、すべての生物を食べることを許されました。その代わり「“感謝”しなさい」ということで「心」を与えられたわけです。ところが、すべての生物を食べることだけを当たり前のこととして、感謝の心はどこかに置き去りにしてきた。
素晴らしいなあ、この考え方、大好きだし、尊敬します。
香川さんの記事に感動したので、あらためて、このセミのブログをUPしようと思いました。
以前テレビで観た「孤独死」についてのドキュメンタリー
以前テレビで観た、「孤独死」についてのドキュメンタリーが印象的でした。
ある30代~40代の女性が住む集合住宅(団地だったかマンションだったか)で、一人暮らしの老人が孤独死をしていたとのこと。
老人には身寄りがなかったので、役所の人が後片付けに訪れた。
その女性は結婚するつもりがなく、仕事をしながら一人暮らしを続けていくつもりだったのですが、身近の孤独死に遭遇し、
「自分は死後、周り(役所の職員など)に迷惑をかけたくない」
と思い、女性だけのコミュニティに参加。
そのコミュニティは、独身であったり、未亡人であったり、身寄りがいなかったりする女性たちが会員。
お互いに何かあったときは助け合いましょう、特に亡くなったときには、きちんとお見送りするから安心してね、という趣旨の集まり。
「周りに迷惑をかけたくない」
気持ちはわかります、できれば周りに迷惑をかけないほうがいいでしょう。
でも、私はドキュメンタリーを観て複雑な気持ちになりました。
たぶん、孤独死をした老人は、生きている間は誰にも迷惑をかけないようにひっそりと暮らしていたのでしょう。
たぶん、税金もきちんと納めていたのでしょう。
生きている間は自分の意思で動けていた、でも亡くなった後は自分ではどうにもできない、本当は自分でどうにかしたいけれど、どうにもできない。
そのときに人の手を借りることになるのが”迷惑”?
「周りに迷惑をかけたくない」
わかる、共感する。
でも、生きている間、迷惑をかけないように暮らして、寿命を生き抜き、自分の力ではどうにもならなくなった亡くなった後に人の手を借りることを”迷惑”だと思ってしまう世の中というのが、なんていうか……、寂しいかなと思って複雑な気持ちになったのでした。
ベランダにセミが!!!
以前、他ブログ(http://moon999.way-nifty.com/blog/2009/08/post-04f8.html)で書いたのですが、自分のブログなので、転載しちゃいます!
窓の外から羽音のような、虫だか鳥だかのけたたましい鳴き声が聞こえてから静かになり、しばらくして窓を開けたら、ベランダで蝉が仰向けになっていました。
か弱いふりをするわけではないですが、とぉっても虫が苦手な私。
「ひぃぃぃぃぃーーーーっ」
なんでこんなところに!
と声をあげそうなところをグッとこらえ、しかしそのままにしておくことも出来ず、チリトリとホウキを持ってきて、チリトリにのせてどこか別のところに運ぼうとしたところ、バタバタと手足を動かしたんですね。
つまり、正に虫の息ながら、まだ生きていたのです。
再び、
「ひぃぃぃぃぃーーーーっ」
と叫びだしたくなるところを、グッとこらえて、落ち着け落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせ、
どうしたらどうしたらどうしたら、一体、この蝉をどうしたら!!
と、一瞬パニックになりました。
パニックの中、ふと、
「これも、いわゆる孤独死といえるのではないかっ?」
と思いつきました。人間ではないけど、蝉の孤独死。
今、そしてこれからますます大きな社会問題になっていく可能性が高い、孤独死。
そう思ったら、少し冷静になれて、
そして孤独死に直面してしまった場合、その本人(本虫)が一番心配するのは、”死に場所”と”自分亡き後、誰が葬ってくれるのか”なのではないか、と思ったのです。一週間の短い一生を生き抜き、今正に寿命が尽きようとしている蝉。
気付いたら私は、
『わかりました。そこにいていいです。そして亡き後は葬らせて頂きます』
という気持ちになっていて、そのまま静かに窓を閉めました。一旦外出してから帰宅して、ドキドキしながら窓を開けると、暗闇の中に、どうやら蝉の亡骸らしきものが。
ドキドキドキドキドキドキしながら、チリトリの上にのせ、なるべく見ないように外に運び、道路脇の植木の根元の土の上に置きました。
土の上、これでいいんですよね?
埋めたりするよりも、蝉にとっては自然なはず、と思って。
「チリトリにのせるとは心無い!」
と非難されそうですが、本当に苦手なんです、虫。だからこれでも私の精一杯でした。
2度目は確か去年?
上記のような体験を持つ私ですが、確か去年、やはりベランダでひっくり返っている蝉を発見。
「えっ!」
虫が苦手な私はうろたえましたが、すぐに思いつきました。
「も、もしかして、ここのこと、聞いたんですね?」
蝉を埋葬してくれるベランダ。
「あそこに行けば、埋葬してもらえるよ!」
もしかして、蝉の世界では噂になっているのではないかと。(超勝手な想像)
「わ、わかりました。埋葬させていただきます!」
ドキドキしながらチリトリに載せて、土の上に置きました。
このような体験をしていたので、冒頭の、”またまたお亡くなりになっている”という表現につながったわけです。
ところで、”虫関係”では、こんなブログも書いてました「みどりむし」。
みどりむしの正体は「コガネムシ」だったらしいのですが、それもわからないくらい虫は苦手です。
しかし転がっているみどりむしに向かって、
「みどりむし……?」
と声をかけているあたり、小学生の男の子か!って自分に突っ込みたくなりました(笑)
(失礼ながら)虫が苦手な私ですが、精一杯、虫との関わりをおろそかにしないようにしていますよ。
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