YouYubeで雨穴さんの「【科学ホラーミステリー】変なAI」を観て、
本編の内容にはあまり関係ないけど、あらためて、
「自分だけで考えていても、現状の打開策は思いつかないのかも」
と思ったことを書きたいと思います。
あ、もちろん本編はとてもおもしろかったですよ!^^
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目次
「AIの作り方は育児に似ている」
動画の中に「AIの作り方は育児に似ている」と説明されるくだりがあります。
動画全体もおもしろかったのですが、今回はこの説明で考え、思いついたことを書きます。
以下、その説明です。
何も知らない状態の赤ちゃんは、教えられることで知識を増やしていきます。
例えば「これはネコだよ」と、何枚かの画像を見せられると、赤ちゃんはそれらを記憶します。
しかし、ネコといっても色や毛並みは一種類ではない。
「全部違うように見えるけど、同じネコ?」と混乱してしまうわけです。
そこで赤ちゃんは「ネコ」を理解するために、複数のネコの画像に共通点(基本形)を見出すことをします。
「耳がとがっている」「つり目」なのが共通していると認識し、これがネコの基本形である、「色や毛並みにはバリエーションがある」と、ネコを理解するのです。
AIの場合は、空っぽのAIに設計者がデータをインプットします。
複数の「ネコ」のデータをインプットすれば、赤ちゃんと同じように、それらのデータから共通点を見出し、AIは「ネコ」の基本形を理解します。
偏ったデータをインプットした場合
しかしインプットされるデータが偏っていたとしたら、どうなるでしょうか?
AIはインプットされたデータの共通点を見出し、それの基本形を理解するのですから、例えば「黒いネコ」のデータばかりをインプットしたら、AIは「ネコとは黒いものである」と理解します。
と、ここで私は思ったのです。
「AIの作り方は育児に似ている」のだとしたら、赤ちゃん、つまり人間も、偏った情報ばかり教えられていたら、そのことの理解も偏ってしまうのではないかと。
子どものときから、同じ価値観の環境で育っていたら、それが偏っていることにも気づかないのではないかと。
偏っていたことに気づかなかった例
私自身の経験で、偏ったことを思い込んでいて、気づかなかったことがあります。
以前、書いています。
要約すると、「自分は授業参観が嫌いなひねくれた人間」と思い込んでいたのです。
子どものころから、そう思い込んでいて、それが間違っていたと気づいたのは退院してからなので、つい最近といえます。
下手したら、一生気づかなかったかもしれません。
ほかにも思い込んでいて、気づかないでいることがあるのかもしれないとも思います。
そして、この偏った思考は、よほど注意深くしているか、なにかきっかけがない限り、偏っていることにも気づきにくいのです。
行き詰まったときの打開策を自分だけで見出すのは無理かも
さらに、大切なことにも気づきました。
偏っていることにも気づかず、苦境に立たされているとき、
自分だけの偏った思考で打開策を見出そうとするのは困難なのではないかと。
そもそも、偏った思考のせいで問題が起きているのかもしれません。
そして、その偏っていることにも気づけない、偏った自分だけの価値観で、そこから抜け出す策を考えていても、思いつけないのではないか、と。
打開策を見出すために多様な価値観をインプット
では、どうしたら良いのかというと、
ここで必要になってくるのが、自分以外の多様な価値観、考え方を取り入れていくことです。
相談してみる、本を読んでみる、いつもは行かないところに行ってみる、いつもの人間関係以外の人たちと話してみる、など。
他人のアドバイス通りにしたほうが良いとは限らないけど、さまざまな価値観に触れることは偏った思考に気づくヒントになるかも。
「そんな考え方があったのか!」
「その目線か!」
など、自分自身や自分がいる環境を多方面から客観視もすれば、意外な発見があるかもしれません。
偏らないように、そしてその思考のせいで苦しくならないように、
さまざまな価値観を知ること、大切ですね。
日々、学びです。
良質なコンテンツ(今回は雨穴さんの動画)は、大切な気づきを与えてくれるものですね。