「自分って、こういう人なんだよね」と思っている、自分自身のイメージ。
疑問も持たずに思いこんでいるそのセルフイメージは、もしかして間違っているかもしれません。
私自身の体験を綴ってみます。
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目次
授業参観日が嫌いだった
子どものころ、授業参観日が嫌いでした。
来て欲しくなくて、授業参観日があることを知らせたくないくらいイヤでした。
小学校高学年のころ、本当に知らせなかったことがありましたが、先生にも親にもバレました。
両者から「知らせなかったでしょ」と言われましたが、しらばっくれたかと記憶しています。その時は、怒られはしなかったように思います。
「授業参観日はイヤなイベント」と認識していましたが、たぶんテレビなどから、「多くの子どもたちは授業参観日を楽しみにしている」ことを知りました。
私とは逆に、親が来られなかったら落ち込んでしまうらしいと。
そこで、多くの子どもたちと違い、親に来て欲しくないと思ってしまう自分のことを「ひねくれている」と思いました。
私は性格がひねくれているから、来て欲しいと思えないのだと。
ヘルパーさんが来てくれるのを嬉しいと思った
時は過ぎ、一昨年の年末のこと。
リハビリ中でお世話になっているヘルパーさんが、私が通っているリハビリ施設にカレンダーを持って挨拶に行くと言いました。
要するに、年末の挨拶回りですね。
私が行っているときに行こうかなあと。
「ぜひ、来てください、私がいるときに」と私は言いました。
わあ、来てくれるの楽しみ! いつも話しているリハビリの感じとか、実際に見て欲しいな~と思ったのです。
そして、思いました。ん? これは子どもが授業参観日を楽しみだと思う心理に似ている?
授業参観日が嫌いなはずなのに。来て欲しくないと思ってしまうはずなのに。
ヘルパーさんが来てくれるのを楽しみだと思えている。
・・・ということは、別に私、ひねくれているわけではない?
授業参観日が嫌いだった理由
そこで、あらためて授業参観日が嫌いだった理由を思い出しました。
小学校低学年のころ、授業参観日が終わり家に帰ると怒られていました。
授業態度が悪いと。
積極的に発言をしていないと。
怒られないように、次の授業参観日には手を挙げて発言をしました。
「これで今日は怒られない」と思っていたのに、怒られました。
手の挙げ方が良くないと。
泣くまで怒られました。というか、泣くと怒るのをやめてくれました。
ある授業参観日には、恐ろしい表情でぴったり背後に立っていて見下ろされていました。怖かった。
こんなにイヤな想いをしていたら、楽しみだと思えるわけがありません。
だから、私は授業参観日が嫌いだったのです。ひねくれていなくたって、これじゃ嫌いになるでしょう?
思いこまずフラットな気持ちでいること
別に、恨みを抱えているわけではありません。
ヘルパーさんの件があったから、「自分はひねくれている」というセルフイメージが思いこみだったことに気付けました。
なので、こういうことがあるんだよと、お伝えしたかったのです。
思いこみは、違和感なく自分のなかに存在しているかもしれません。
そして、今の自分に知らないうちに影響を与えているかもしれません。
大切なのは、こういうこともあるので、心をやわらかくしておいて、時には「この想いはどこからきているのかな」と考えてみること。心と向き合ってみること。
間違っている思いこみに振り回されないようにしてくださいね。
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ライター、心理カウンセラー・タロット占い、ムビラ弾き♪自由に自分らしく輝けるお役に立てたら幸いです☆
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