「ひどいことをした人が笑いながら暮らしているのが許せなくて、復讐しなければ気が済みません」
と打ち明けられたら、なんて答えますか?
「わかるよ~、復讐しちゃいないよ」?
「いやいや、復讐はまずいと思うよ」?
それとも、面倒だなと思って、何も答えずに離れますか?
この場合の復讐は「見返してやる!」というものではなくて、相手を攻撃しダメージを与え、自分が加害者になるようなものです。
今回は、消化されない怒りへの対処法について綴ります。
尚、この対処法は、絶対にこうするべきと押し付けるものではありません。怒りにとらわれてしまい苦しいときに「こんな対処法もある」と心の片隅にでも置いておいていただければ幸いです。
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目次
「復讐したい」と打ち明けられたら?
さて、もう一度、冒頭の質問を。
もしもあなたが、
「ひどいことをされた、その人が反省の様子もなく普通に暮らしているのが許せません。だから復讐しないと気が済まないんです」
と打ち明けられたら、なんて答えますか?
私は実際に話を聞いたとき、
復讐したいくらいに思い詰めるのはわかるけど(それくらい、ひどい内容だった)、復讐するのは止めたほうが……、
と伝えました。
復讐するのが、幸せな道とは感じられなかったから。
怒りは必ずしもネガティブな感情ではない
喜怒哀楽の中にある「怒」。
これらどれもがネガティブな感情ではないと思います。
健全な心は、喜怒哀楽をすべて感じる。ただ、どの感情にも引っ張られすぎないことが大切かなと。
以前、下記のブログを書きました。
「怒りを抑えると自己評価を下げてしまう」
必要な怒りもあるのです。
実際、先日怒りましたが、疲れました……。でも自分の意見を言えて、結果的には良かったです。
怒りはパワーを必要としますね。逆に言うと、怒ると元気になれることもありますね。
しかし問題なのは、消耗してしまう怒りです。とらわれると自分が滅ぼされてしまうような、悪い方向に引っ張られる怒りです。
復讐しないほうが良いと思った理由
話は戻りますが、復讐するのは止めたほうが良い、それが幸せな道とは感じられなかった理由について説明します。
相手は反省などしない
何故、復讐しないほうが良いと感じたかといえば、
ひとつには復讐したところで、相手は反省などしないからです。
「こんな復讐をされるほど、自分はひどいことをしてしまったのか……。確かによく考えれば、ひどかった。ごめんなさい」
相手の心の中に、このような感情は起こらないでしょう。
反省するような人なら、とっくにしてるはずです。
また、相手が反省しなくても、復讐するだけでスッキリする、
と考えているかもしれませんが、本当に?
相手に立ち直れないほどのダメージを与えれば、本当にスッキリするのでしょうか?
もしかしたら、相手の反応を見て、夢中で復讐を果たした自分の心に虚しさを覚えてしまわないでしょうか?
周りに共感されても虚しいだけ
また、復讐を果たすことによって、周りの人にも相手がしたこと、自分がどれくらいの被害に遭ったかを知られることになるかもしれません。
「つらかったでしょう」
共感してくれる人もいるでしょう。
でも、知らんぷりする人もいるでしょう。
興味本位の目で見てくる人もいるでしょう。
世間の冷たさに、傷ついてしまうことになるかもしれません。
何故、被害者だった自分が、より傷つかなければならないのかと、悲しい気持ちになるかもしれません。
それに、共感してもらって、救われる気持ちもあるかもしれませんが、そこからどう歩んでいくのかは、しんどくても自分の力になります。
変に同情してもらっても虚しいだけではないですか?
有意義なものに転換できない怒りに向き合う時間は無駄
「復讐したい」
それくらいの怒りを持ってしまうこと、つらいでしょう。
どうにかして、その怒りを消化したい、そのためには相手を痛い目に遭わせるしかないと思うかもしれません。
でも、客観的な意見を言いますね。
その気持ちを抱え続けていることは、無駄な執着です。
必要な執着もあるかもしれない、でも復讐したいと思い詰めるその怒りは無駄。
執着していても、救われたいと思っても、怒りに執着している限り、そこからは抜けられません。
向き合って、解決することなら、逃げずに向き合うことは大切です。怒りを自分にとって有意義な方向に転換することができるのなら。
でも、いくら向き合っても解決しないのなら、向き合うだけ無駄。消耗するだけです。
ネガティブな感情はもぎ取って捨てる
「復讐しても晴れない? 向き合っても無駄? じゃあ、この怒りはどうしたらいいの?」
難しいですよね。
私も「怒り」ではないですが、ネガティブな感情を消化できず、悶々と過ごしていた時期があります。
でも、どうしたらいいのか、答えが出ました。
(ネガティブな感情からは)全力で逃げましょう。
逃げるという言葉が良くなかったら、その状況から「抜け出す」でも良いです。
とにかく、全力で、その感情を振り払いましょう。
イメージとしては、自分を苦しめている感情が自分の周囲にある気配を感じたら、もぎ取って、思いきり投げ捨てる。視界に入りにくい、後ろ方向へ捨てる。
出てきたらもぎ取って捨てる、もぎ取って捨てるを繰り返す。
もう一度、言いますね。
あなたを傷つけるものから、全力で逃げましょう。
もぎ取って捨てるを繰り返していれば、癖になります。
クリアな自分でいられるようになりますよ。
そして、それはとっても心地よい状態です。
輝いている人に愚痴っぽい人はいない
以前、こんなツイートをしました。
愚痴は消化されてない怒りなんですよね
じゃあ、怒りを爆発させればいいということではなくて
ああ、書ける。今の私なら書けるのに入院中
退院したら、ブログにしよう— mari_Ruca@ライター&占い師&ムビラ弾き (@Ruca_moon) December 27, 2019
愚痴っぽくなってしまう場合、それは消化されていない怒りのせいかもしれません。
愚痴をどんなにこぼしても、怒りを爆発させてみても、根本的な解決はできません。
全力で逃げましょう、(自分を苦しめるネガティブな感情は)全力でもぎ取って投げ捨てましょう。
考えてみると、その人らしく輝いている人に愚痴っぽい人はいないと思いません?
愚痴りたいことが起きないわけでも、怒りを感じないわけでもないでしょう。
輝いている人は、それらのネガティブな感情への対処法が上手なのだと思います。
「自分は別に輝きたくもない」
と思うかもしれませんが、ギラギラ輝かなくても、自分らしい輝き方をしている状態は、とても心地いいと思うのです。
例え淡い光でも、弱い光でも。
自分らしく輝いている状態は、自然体だからです。
こちらの記事も参考にしていただければ。↓
許せない存在を自分の大切な人生に登場させることはないのですよ。
怒りを切り替えるコツとは
とはいえ、許せなければ許せないほど、切り替えが難しいこともあるでしょう。
怒りを抑えすぎると感情がゆがんでしまう。きちんと怒りは感じるべき。でも、怒りを認めた後、どうやって切り替えたら良いの?
私なりに編み出した怒りを切り替える方法をお伝えします。
まず、筋肉を動かすことです。息が切れるくらいの運動をすること。
そして、その運動をすることで発散されるエネルギーが「許せない」に向かわないよう、「笑い」を取り入れます。
簡単な方法として、YouTubeなどで長めの時間の動画、面白い話などを流し聞きしましょう。
お笑いのネタは悲劇的な内容の場合もあり、それを笑い話に転換しているのを聞いているうち、自分の状況を客観的に冷静に見つめられるようになる可能性があります。
筋肉を動かすこと、笑いが生み出すポジティブエネルギーは侮れません。
気付いたら、怒りの切り替えができている可能性大ですよ。
怒りにとらわれて、苦しいのなら。
ネガティブな感情を抱えていても、つらいだけ。
解決しようとする努力も無駄、向き合う勇気も無駄。
だから、全力で逃げてください。そこから抜け出してください。
本来の、心地よい自分でいられるために。
※考え方を変えるこんな方法もあります↓
追記:「呪いが解ける」に共通してる?
都市伝説かもしれませんが、先祖の悪業のせいで呪われてしまっている場合、どうしたら呪いが解けるのか、気になりますよね。
小耳にはさんだ話では、
「呪っている本人自身(この場合は「呪っている霊」?)が、されたことを忘れること」
だそうです。
つまり、
「あれ? なんで自分は呪ってたんだっけ? 忘れちゃったから、もう呪うのやめた」
となること。
されたことの怒りを風化させること。
で、これって消えない怒りへの対処法にも通じるのかなと思いました。
忘れないでいるうちは、怒りは消えない。
何度もされた記憶をリピートして、怒りはくすぶり続け、怒りにとらわれ、復讐したい想いに支配されていく。
なので、怒りから解放されるためには、悔しい想いを繰り返し思い出さないこと、
風化させるくらい、ほかの(楽しい)想いを重ねていくこと。
怒りに支配されず、自分らしく自由に生きられますように・・・。
参考になればと思います。
ライター・校閲、メンタル心理カウンセラー、ムビラ弾き♪
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私が生きる目的は、攻撃してきた相手を潰す事
(人が何目的で生きてるのか)
復讐の否定について
もう相手は反省しなくていい
虚しくてもいい
自身は輝いてなくていいし死んでもいい
拷問も覚悟してる
相手の体と心にダメージを与え苦しませたい
相手の家族や大事な人を拉致し拷問し続けたい目の前で(勿論相手自身にも与える)
自身は心のダメージを負わない為に一人で居続けてる
周りはどうなってもいい
復讐したい相手や相手が大事にしてる人達全てが死んでしまったら復讐は終わり
生かせ続けて苦しませたいが死んでしまったら終わりなので、その時は自害する
本題
こういう思考ですが、復讐はダメですか?
仮にですが
この思考が歪んでると感じたなら、その事についても聞きたいです
まさやさま
コメントありがとうございます。
ゆがんでいるなんて思いませんよ。
復讐したいと思うほどに、ひどい攻撃をされたのではないかと想像します。
許せない感情が大きくなってしまったこと、無理ないことではないかと思います。
それだけ、感情が豊かで正常な自尊心があるということではないでしょうか。
世の中、理不尽なことは多いですよね。
生き抜いていくためには、落ち込んでも、頭にくることがあっても、切り替えて突き進んでいくスキルが必要なのかなと、個人的には思っています。
私は物事について、安易に正解・不正解を決めたくないのです。
なので、復讐がダメかどうかも決めつけられません。
だって、苦しさのなかの復讐なのだとしたら、事情も分からず一般常識的に「それはダメ」というのは無責任ですもん。
私だったら、「おまえになにがわかるんだあー!正義漢ぶって!」と思ってしまうかも。。
ただ、せっかくコメントいただいたので、私が思ったことをお伝えすると、
まさやさまは怒り以外の感情も豊かな方だと思うのです。
その豊かで素敵な心を自分にひどいことをしてきた相手のために使うのは、もったいないのではということ。
また、かけがえのない人生の大切な時間を、許せないようなひどい人たちのために使うのももったいないということ。
どうか、ご自身の心を大切になさってくださいね。
大変だけれど、自分の心を守れるのは、自分だけだとも思います。