よく買い物をしていた、近所のスーパーマーケットが閉店しました。
「閉店」の貼り紙を見たお客さんたちが「えっ!」と驚いていました。私も驚きました。
だって、それなりにお客さんは入っていたし、不況になっても食料を扱う店は残れるって思っていたから。
閉店してしまうお店は多いけれど、今回のスーパーマーケットの閉店はとても悲しかったです。
なんでこんなに悲しいのだろうと、分析してみたことについて綴ります。
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目次
最初に思ったのは「日本、やばいのでは」
「閉店」の貼り紙を見て、最初、不安に襲われました。
不況と言われながら、あまりピンとこない日々を送っていましたが、庶民レベルでも不況を感じる街の風景に出会うことがどんどん多くなっています。
わかりやすいのが、閉店するお店が増えたこと。営業中のお店がガラガラなこと。
不況になっても食べることはやめられないから、食料品を扱うスーパーマーケットは競争は激しくても根強く残っていくものと思っていました。
それが、まさかの閉店。活気があるお店だったのに。
真っ先に思ったのは、「日本、本格的にやばいのでは」ということ。
以前、世界のあちこちに行ってきた人が、
「とりあえず日本に帰ってくれば、仕事がないってことはないから」
と話していました。
国によっては仕事をしたくても、なにも見つからないということがありますが、日本なら、なにかしら仕事がある。
しかし、「日本にいれば、仕事がないってことはない」という時代は、終わりに近づいているのではないでしょうか。
もはや「豊かな日本」ではないと言われていますが、本格的にそうなってきたのでは。
時代の変わり目ということもすごく感じるので、単に必要とされる仕事が変わってきているというだけかもしれませんが。
ほかのお店よりも安くて、庶民の味方だった
そのスーパーマーケットは、ほかのスーパーマーケットよりも値段が安いのが魅力でした。
例えばほかでは400円くらいで売っている商品が、200円くらいで売っているなど。
100円単位で安いのは、大きいですよね。
店舗オリジナル商品がメーカー品よりも安く売られていることもあり、とにかく値段が安く、庶民の味方のスーパーマーケットでした。
買い物をすればポイントもたまり、お得感もいっぱい。
食料品だけではなく、日用雑貨も衣料も、薬もクリーニングも扱っていて、とても便利なお店でした。
生活に寄り添ってくれていたようなお店がなくなってしまったことが、単純に寂しいです。
一日中仕事をして、お腹が空いて買い物に行く
1年半……、2年近く専業でwebライターをしていました。
起きてから寝るまで、パソコンに向かい、文字を打つ日々。
「あー、もうこんな時間! お腹空いたー!」
と思ったとき、近くにあるそのお店には、すぐに行けました。
夜になると商品が値引きされていて、うれしかったです。
ぐるんと食料品売り場を回って、安くなっているものをチェック。
重たいペットボトルを買っても、近くだからすぐに家に持ち帰れて負担も軽い。
そのスーパーマーケットは、孤独にパソコンに向き合い、お腹を空かせて向かう先にある、温かい場所でした。
体が痛くなりながら、夢中で一人、webライティングに取り組んでいた私に寄り添ってくれていたお店だったんです。
無くなってみて、あらためて感じる夢の空間
行きつけのスーパーマーケットが無くなってみて、あらためて、スーパーマーケットって、夢のような空間だなあって感じています。
ひとつの店舗の中に、たくさんの日用品がぎゅっと詰まっている。
お菓子の売り場に行くと、棚にはたくさんの種類のお菓子が、
野菜売り場に行けば、たくさんの種類の野菜が、
総菜売り場に行けば、美味しそうな総菜パックが、
……なんて夢のような空間なのでしょう!
きっとスーパーマーケットが無い時代の人が見たら、「なんだ、このウキウキワクワクするお店は!!」「照明がキラキラ明るい! 商品がこんなにたくさん!! 選び放題だ!!」と思うのではないかと。
以前、家電量販店ができる前は、町の電気屋さんしかなかったのではないか、電気量販店の社長は、見渡す限りたくさんの種類の家電製品が並べられたお店を作るのが夢だったというようなことを書きました。
スーパーマーケットができる前は、魚を買うなら魚屋さん、野菜を買うなら八百屋さんしかなかったのではないでしょうか。
スーパーマーケットのように、そこに行けば何でも揃う、棚に選び放題のたくさんの種類の商品がぎゅうぎゅうに並んでいるなんていう空間は夢の世界ようだったのでは。
こんなお店があったらいいな、の想像力が大事
スーパーマーケットや電気量販店ができるより前は、
「そんな店を作るなんて無理だよ」
と言われていたかもしれません。
でも、「こんな店があったら、いいな」と夢見た想像力が、新たなお店の形を生み出したんですよね。
時代はぐんぐん変化しているので、お店の形態も変わっていくのかもしれません。
でも、無くなってしまってユーザーが悲しくなるようなことになるのではなく、「こうなったらいいな♪」という夢がかなうような展開になっていけばいいなと思います。
時代の変化が寂しいものにならず、ワクワクを感じられるものになりますように。
ただ今は、私は悲しくて寂しくて、閉店した後、お店があった場所には行けていません……。
悲しすぎる理由の分析結果は次の通り。
- 「日本、やばいのでは」と不安になった
- 庶民の味方のお店だった
- webライティングに必死に取り組んでいた私に、寄り添ってくれていた存在だった
当然のようにあった存在が無くなってしまったことが、悲しくて寂しいです。
当然のことなんて、当たり前のことなんて、やっぱりなにも無いんですね。
流れを変える、意識を変える☆
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