何年も前の経験、リライト。
この感覚、今でもずっとテーマですね。
どうなんだろう、そういう状況に遭遇しないとわからないということもあると思いますが。
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目次
仲間うちで出た話題「こんなとき、どうする?」
何年か前のこと。
知り合い同士の集まりで、一人が言い出した。
「こんなとき、どうする?」
「道を歩いていたら、すれ違ったおじさんに声をかけられたの。
汗だくで、疲れ切った様子だった。
田舎から出てきて一日中仕事を探していたんだけど、見つからなかった。
朝から何も食べていない。どうかご飯を食べるお金を貸してくれないだろうか、って。
こんな時、みんなならどうする?」
私と、そこにいたもう一人は言った。
「貸すわけないじゃない。交番の場所を教えてあげる。おまわりさんに何とかしてもらうようにって」
その知り合いは貸したのだと言う。
「1000円だけ。それだけあれば、とりあえずお腹いっぱいになれるだろうって思ったから。
おじさん、住所と名前を書いてくれたけど、お金は返ってこないと思ってる。それでもいいの」
その場にいたもう一人が言った。
「自分も貸すかも」
「そんな姿見たら、貸すと思う。少しのお金で助けることができるなら貸すよ」
その話はそんな感じで終わった。
知らない人にお金を貸すわけないって思った
お人よしだなあ。見ず知らずの人にお金を貸すわけないよ、
と私は思っていた。
でも、その後、その話を思い出すたび、考えてしまうのだ。
お金を貸したのは、知り合いがお人よしだから?
返ってこなくてもいいと思いながら、相手にお金を差し出すことはおかしいこと?
自分だったら、絶対、そんなことするわけない?
……むしろ、助けようという気も起こらず、
迷わず交番に行くようにと促すことの方が、人間として寂しいことなのではないだろうか?
同僚との雑談で、この話題が出た
その後、職場の同僚にこの話をしたら、
「それで、そのお金は返ってきたの?」
と聞かれた。
うーん、返ってこなかったと思うけど、そういうことじゃないんだ。
「1日くらい食べなくたって死ぬわけじゃないよ」
そうかもしれないけど、そういうことじゃないんだ。
「たかが1000円って思うかもしれないけれど、1000円稼ぐのだって大変なことなんだよ」
わかってる。
「お腹がすいてるっていうなら、お金じゃなくて、コンビニでおにぎりでも買ってあげたらよかったと思う」
うん、それもアリだったと思うけど、そういうことじゃないんだ。
お金の問題じゃなくて、心の問題なんだ
私自身は、お金のトラブルは大嫌いで、慎ましく分相応の生活をしているつもりだけど、
考えてしまうのは、
1000円の価値とか、
そのおじさんが言ったことが本当なのかとか、
お金が返ってきたかどうかということじゃない。
心の在り方の問題。
お腹をすかせて疲れ切った様子の人を見て、
自分にとって返ってこなくてもいいと思えるくらいのお金を出すことを
即座にあり得ないー、って否定してしまう自分の心ってどうなんだろうって。
その心は間違ってない?
その感じ方は正しいの?
もちろん少額だって、出すのか出さないのかは、時と場合によるとは思うけれど。
この心理をもとにして、当時、短編小説を書きました。
あらためて、「note」に掲載。
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