以前、よく会う機会があった方(男性)は真面目なイメージでした。
だから周りから、
「真面目ですね」
と言われることが多かったんです。もちろん誉め言葉として。
ところが本人は、誉められているのにも関わらず、嬉しそうではありませんでした。
今回は「真面目ですね」は誉め言葉ではないのか?
人はそれぞれ、「こう見られたい」というイメージを持っているのではないかと思ったことについて綴ります。
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目次
「真面目ですね」が喜ばれなかったのは
誉め言葉のつもりで言われる「真面目ですね」に、何故その方は喜ばれなかったのでしょう?
本当にその方、真面目でした。
そして「真面目」なのはいいことですよね。というか、基本、真面目じゃないとダメなんじゃないかなと思っています。
しかし何故、「真面目」なその方は「真面目ですね」と誉められて喜ばなかったのか、その心理を考えてみます。
その場にいた誰もが、その方のことを「真面目」と思っていたくらいなので、その方は他の場でも「真面目ですね」と、よく言われていた可能性が高いです。
言葉って、受け手の心情によって、受け取られ方が変わるのです。
「真面目」を他のとらえ方で考えてみましょう。
いろいろありますが、例えば「頭が固い」、「型にはまっている」、「面白みに欠ける」e.t.c.
その方はたぶん、「真面目」と言われているうちに「堅苦しくて面白くない人」と言われているような気持ちになってしまったのではないでしょうか。
しかし、誉めているつもりで言った言葉が相手を不快にさせるとは、怖いです。
さまざまな言葉の裏側
上記のように「真面目」の裏側には「堅苦しくて面白くない人」という解釈があります。
ほかの例をあげてみます。
「大らか」⇒「がさつ」
「おっとり」⇒「のろま」
「テキパキしている」⇒「仕切りたがり屋」
「細やか」⇒「神経質」
既に述べましたが、言葉は相手の心情で解釈が変わります。
「大らかですね」と誉めたつもりが、「どうせ、がさつですよ」ととられてしまったり、
「細やかですね」と誉めたつもりが、「細かいことこだわってて、すみませんね」ととられてしまったり。
でも、「誉めたのに、何故喜ばないんだ!」と言うのも勝手な話。
人は「こう思われたい」イメージを自分の中に持っている
もうひとつ、忘れてはいけないこと。
人は「こう思われたい」というイメージをそれぞれの中に持っています。
だから例えば、「真面目ですね」と言われて喜ばれなかった方が、日頃から自分の真面目さに誇りを持っていたら、「真面目ですね」と言われて喜んでくださったと思うんです。
「そうだろ、俺、真面目なんだよ」って。
だけど「真面目」と言われることがイヤだった、そしてたぶん、「こう見られたい」ほかのイメージがあったんだと思うんですね。
それが想像できていれば、誉め言葉のつもりで「真面目ですね」と言って、相手を嫌な気持ちにさせてしまうことはなかったはず。
例えば「意外に、面白い人なんですね!」と言えばよかったのかも。”意外に”という部分には、「真面目そうに見えて」という意味が隠れているのですが、「真面目」でありながら「面白い」と、なにげに2つの誉め言葉を入れ込んでいます。
これなら「真面目」も誉め言葉として受け止めてもらえそうです。
実は私自身も経験しました
つらつらと書いてきましたが、実は私自身も言われる側の経験をしました。
その言葉が、私にとっては、誉め言葉に感じられるどころか、
「この人たち、私のこと嫌いでしょ!」
と思ってしまったくらいです。(断定されてしまうので、言われた言葉は内緒で)
正直、良い気持ちにはなりませんでしたが、冷静になって考えました。
別に、けなされてないよねって。
ただ、私自身が「そういうイメージで見られていること」を不快に思ったというだけ。
言った人たちは、思ったことを言っただけ。別に悪いと思って言っていなかっただろうと思います。
いろいろな人が勝手にいろいろなことを言うのだから、「誰にどう思われようと関係ないや」と思っていましたが、それでも少なからず「こう見られたい」「こう見られたくない」という気持ちが私の中にもあるようです。
誉め言葉のつもりが、相手を不快にさせてしまうこともあるということ、
不快にさせてしまったら、相手の心情を想像し、「見られたいイメージ」にアプローチ。
そして、すかさずフォローをして、投げた言葉を良い影響を与えるものにできたらいいですね。
難しいけれど、せっかく言葉のやり取りをするのなら、心地よいものにしたいもの。
そのために、心を使って想像力を駆使しましょう。
流れを変える、意識を変える☆
ライター、タロット占い師、ムビラ弾き♪
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