私は基本的に「人は人、自分は自分」と考えるので、人と自分を比べる考え方はしません。
でも例えば、自分が目指していて手に入らなくて、もがいているものを、誰かが、いとも簡単にゲットしている姿をみたら、落ち込むかもしれません。……かもしれませんが、それで落ち込んでいても何も良いことはないので、やはり「人は人、自分は自分」と考えるようにします。
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目次
意外な妬みの感情①
「え? なんでそんなふうに考えるの?」
と驚いてしまうような「妬みの感情」に出会うことがあります。妬みは、日々の生活の些細なことの中に存在しています。
実話その1 今は少なくなってきた年賀状編
某知人に、
「結婚した従兄弟から来た年賀状が家族写真だった。どう思う?」
と聞かれました。
私は単純に、「奥さんと子供と幸せに暮らしていますっていう報告なんじゃない?」と思ったのですが、某知人に言わせると、
「自慢してきた」
ということになるようです。幸せな報告なんて必要ない、家族の写真なんて見たくもない、自分の子供をかわいいと思って欲しいのか、と。
意外な妬みの感情②
実話その2 再び、今は少なくなってきた年賀状編
私はしないですが年賀状に、
「昨年は●●に出かけてきました!」
と写真をプリントして送ることもありますよね。
私は単純に、
「へ~、××さん、●●に行ってきたんだ~」
と思うだけですが、人によっては、
「●●に行ってきたとか、年賀状で自慢してる!」
という解釈になるようです。
意外な妬みの感情③
実話その3 体験談編
体験を人に伝えることが妬みにつながるのは、年賀状に限ったことではありません。
「●●に行ってきた」
と話すだけで、
「自慢?」
となることもあるようです。
また、
「今度、☆☆のライブに行ってくるんだ~」
と話すだけで、
「自慢?」
となることもあるようです。
うかつに旅行の話も、イベントに参加する話もできないのでしょうか。
意外な妬みの感情④
実話その4 話の解釈編
某知人(前出の知人とは別人)と、同じ状況で、同じ人から話を聞いていた時のことです。
ある人が、
「自分は学生時代、勉強はできたのですが、社会に出てからコミュニケーションがうまくとれないことに気づきました」
というような話をしました。
私は、
『コミュニケーションがうまくとれないことを悩んでいるんだな』
と、受け取りました。
しかし一緒に話を聞いていた某知人は、
「さっきの人、自分は勉強ができるって自慢してなかった?」
と言いました。
え? そこ? そこなの? そんなふうに聞こえた?
話をした人は、そこを強調したかったわけではないと思うのですが……、
でも、わかりません。私の受け取り方のほうが間違っていたのかもしれませんし。
妬み合うような環境から脱出する
癖のように妬む人は、対象になっている人が抱えているかもしれない悩みや苦しみまでも想像しているでしょうか?
していないでしょうね。していないから、表に出ている華やかな部分だけで妬んでしまうのでしょう。
人間なので「妬み」の感情を持つこともあるでしょう。
しかし「妬み」の感情ばかりに囲まれていると疲れます。
自分の体験を自由に話すこともできなくなります。
楽しい体験が「自慢」と受け取られ、妬まれることになるのなら、失敗談を話しているのが無難なのかもしれません。
かといって、ネガティブな話ばかりも疲れます。
大切なのは、「妬み合うような環境から脱出する」ことではないでしょうか。
その「妬み合う環境」を変えていけるかを考えるのも良いでしょう。
でも変えられないこともあります。
脱出できない環境もあります。(職場であったり、身内であったり)
そういうときには、「妬み合わない(相手のしあわせを祝福しあえる)ような環境」も同時に持つようにしたいです。
ある環境では嫌な思いをしても、違う仲間のところに行けばホッとできるように。
また自分が変われば周りの状況も変わってきます。
環境を変えたければ、まず自分が変わることが大切。
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