少し前に、ネット上で、ある試みに参加したんです。
ひとつの問題について話し合い、意見をまとめる。たまには変わったことをしてみたいと思って。
1チーム3名。
内容についてはあまり詳しくは書けないのですが、意外な意見を言い出す人がいて、「へえー、意外な発想! おもしろい!」と思いました。
あまりにもおもしろかったので、友達に「××っていう考え方をする人がいてね……」と話したら、
「なんなの、その人。面倒くさいこと言い出してうるさい人だね」
と返ってきて、その意見がまた意外でした。
「おもしろい発想」が「面倒くさい」で片付けられてしまうということ。
ちなみに有名な童話作家、宮沢賢治の生前の出版物は、自費出版2冊だけだったってご存知ですか?
おもしろいものも「おもしろい」と認めてくれる人、発見してくれる人がいなければ、世に出ることができない。
型にはまった考え方をせず、「おもしろい」ものに気づいていきたいという想いで綴ります!
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目次
先日の「おもしろい発想」とは
上で書いた「おもしろい発想」がどのようなものだったのか、ふんわりと説明します。
ある架空の危機的状況について、解決策を考えていたんです。
ほぼ意見がまとまったところで、一人が言い出しました。
「私たちは根本的に間違っているのではないか?」
解決策の前提として、その危機的状況は、現代の日本で起きていると考えていました。
でも、一人が言い出したのは、
「一言も、”現代”の”日本”で起きていることとは説明されていないではないか!」
というようなこと。
つまり私たちは勝手な思い込みで、「現代の日本で起きている」こととして解決策を考えていたのです。
しかしこれが現代の日本で起きていることではないという設定で考えると、解決策も変わってきます。
私はその意見を「確かに! 思い込み、怖い! すごく興味深い意見だ!」と思いました。
ところが上でも書いたように、
「意味不明なことを言いだして面倒くさい」
という意見もあるんですね。
もしかしたら、他と違う発想を「意味不明」「面倒」で片付けてしまう人は多いのかもしれません。
思い込まない、当たり前だと思わないことが新たな発見につながる
私は逆に、一味違った発想を「意味不明」「面倒くさい」で片付けるようなことを言われると、
「頭が固い、つまらない人だな」
と思います。
だって、いろいろな意見があるって、おもしろいじゃないですか?
既存の型にはまっていたら、新しいものなんて生まれないです。
例えば、エレキギターや多重録音を発明したレス・ポール。
レス・ポールは、スイッチを入れれば電気がつくのが当たり前とは思わない少年だった。「なぜ電気がつくのだろう」と考える子供だった。
多重録音が発明される前は、全員が揃って演奏するしかなかったんですよね。
例えば飛行機がない時代、外国に行きたかったら船に乗るしかなかった。
「空を飛べたらなあ」
なんて発想を、
「無理に決まってる!」
と笑っていた人もいたのではないでしょうか。
でも「空を飛べたらなあ」の想いが、飛行機の発明につながった。
ほかにも例えば、
「近くまで行かなくても、遠くからスイッチを入れたり消したりできたらいいなあ」の想いが、リモコンを生み出したのではないでしょうか。
リモコンがない時代から見たら、リモコンを使って遠くから操作するなんて、「魔法使い」みたいですよ。
おもしろいものを見逃さないようにしたい
今はそれほど注目されていなくても、おもしろいものや発想はたくさんあるでしょう。
それほど注目されていなくても、魅力的な活動をしている人物もいるでしょう。
それらのものに気づける心を持っていたいです。
「当たり前」で片付けてしまうのではなく。
「意味不明」と切り捨ててしまうのではなく。
そして気づいたら、自分なりにどんどん発信していきます!
同時に自分でも、型にはまらない自由な発想を楽しんでいきます!
さらに、自分のやることを認めてくれる人に出会うことがとても大切だということ!
流れを変える、意識を変える☆
書いて描いて弾いて占います。
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